五浦(読み)いづら

日本大百科全書(ニッポニカ)「五浦」の解説

五浦
いづら

茨城県北茨城市大津町にあり、阿武隈(あぶくま)高地の支脈が太平洋に突き出てつくる断崖(だんがい)と入り江をもつ海岸景勝地。W字型に入り込んだ入り江が五つあるところから五浦とよばれる。1906年(明治39)岡倉天心横山大観(たいかん)らの門下生とともに日本美術院を移した所で、六角形、朱塗りの六角堂(東日本大震災で流失、2012年再建)などの遺跡茨城大学五浦美術文化研究所となっている。県立天心記念五浦美術館が1997年(平成9)開館した。花園花貫(はなぞのはなぬき)県立自然公園の一部をなす。JR常磐(じょうばん)線大津港駅からバス15分。

[櫻井明俊]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「五浦」の解説

五浦
いづら

茨城県北東部,北茨城市大津地区の海岸。出入りの多い岩石海岸で風光に優れる。1906年岡倉天心らが日本美術院本拠を置いた地として有名。付近一帯は茨城大学五浦美術研究所となっている。天心の旧居には六角堂があったが,2011年東北地方太平洋沖地震に伴う津波により,流失した。には洞窟鐘鼓洞がある。花園花貫県立自然公園に属する。

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精選版 日本国語大辞典「五浦」の解説

いづら【五浦】

茨城県北東部、北茨城市大津町にある海岸。明治三九年(一九〇六)に岡倉天心が日本美術院を移した所。六角堂などの遺跡がある。

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世界大百科事典内の五浦の言及

【岡倉天心】より

…この年ニューヨークで出版した《日本の目覚め》は好評を博し,05年3月に帰国した。同年10月再び渡米,ボストン美術館東洋部長として毎年半年を同館で執務する契約を結び,以後ボストンと茨城県五浦(いづら)の別邸とを行き来することになった。なお06年には衰微していた日本美術院を五浦に移している。…

【日本美術院】より

…しかし失敗に終わったにせよ,このとき彼らの取り組んだ実験が日本画に変革をもたらし,近代化を促進させたのである。1906年天心は日本画の研究所を茨城県五浦(いづら)に移して再起を期したが,天心が13年に没し,その努力も実らなかった。 天心の死は門下を奮起させた。…

※「五浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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