井戸良弘(読み)いど・よしひろ

朝日日本歴史人物事典 「井戸良弘」の解説

井戸良弘

没年:慶長17.1.5(1612.2.6)
生年:生年不詳
戦国・江戸前期の武将通称は才助,若狭守。大和国井戸城(天理市)城主井戸若狭守覚弘の子。兄の早世によって家督を継ぐ。はじめ筒井順慶に仕えたが,井戸城を子の十郎に譲って自らは織田信長に仕えて軍功をあげ,山城国久世郡に槙島城(宇治市)2万石を与えられた。しかし天正10(1582)年6月の山崎の戦では,豊臣秀吉の招きに応じなかったため改易され,そのまま出家し里夕斎と号して奈良に蟄居した。その後,慶長5(1600)年の関ケ原の戦には丹後国田辺城に籠城して長岡藤孝(細川幽斎)を助けたが,戦後は特に報われることもなく,再び奈良に隠棲した。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井戸良弘」の解説

井戸良弘(1) いど-よしひろ

1533-1612 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)2年生まれ。大和(奈良県)井戸城主。義弟の筒井順慶に属し,のち織田信長のもとで山城(京都府)槙嶋(まきしま)城主となる。天正(てんしょう)10年(1582)の山崎の戦いで豊臣秀吉をたすけなかったため,改易(かいえき)され奈良に退隠。関ケ原の戦いでは徳川方についた。慶長17年1月5日死去。80歳。通称は才助。号は里夕斎。

井戸良弘(2) いど-よしひろ

1635-1717 江戸時代前期-中期武士
寛永12年生まれ。幕臣承応(じょうおう)3年書院番となり,延宝2年家督をつぐ。先手弓頭(がしら)をへて,元禄(げんろく)7年(1694)から15年まで勘定奉行をつとめ,留守居にすすんだ。享保(きょうほう)2年11月21日死去。83歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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