コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

亡命貴族 ぼうめいきぞくémigré

翻訳|émigré

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

亡命貴族
ぼうめいきぞく
émigré

エミグレとも呼ばれる。フランス革命期に,イギリス,サルジニア,オランダ,ロシア,ライン公国地方に亡命したフランスの貴族や聖職者,および「僧侶民事基本法」に反対する聖職者に与えられた名称。最初のエミグレはバスティーユ攻略の直後にみられ,そのなかにはプロバンス伯 (のちのルイ 18世) やアルトア伯 (のちのシャルル 10世) らがいた。革命はエミグレに対してはきびしい態度をとり,彼らの財産を没収して売却処分にした (1792) 。エミグレの数は全部で3万人以上と推定される。 1802年ナポレオン (1世) によって大部分の亡命貴族は帰国を許され,王政復古後は王党派として活動した者も多い。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ぼうめいきぞく【亡命貴族 émigré】

フランス革命期に祖国を捨てイギリス,サルデーニャ,オランダ,ロシア,ライン地域諸公国に亡命した貴族・聖職者に与えられた名称。バスティーユ攻略後プロバンス伯(のちのルイ18世),アルトア伯(のちのシャルル10世)らの王族,コンデ公,ポリニャック公らの貴紳が亡命し,以後〈聖職者基本法〉(1790)を拒否する聖職者も多数国外に逃れた。その集結地コブレンツマインツで彼らはオーストリアなどの援助下に革命の打倒を画策し,国内各地での反革命を扇動した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内の亡命貴族の言及

【移民】より

…移り住む行為すなわち〈移住〉の代りに,移民という言葉を使うことも多い。ヨーロッパの言語では,その国の立場により〈出移民(英語emigrant,フランス語émigré)〉と〈入移民(英語immigrant,フランス語immigré)〉とに分けて使用するのが普通だが,日本ではまだ一般的ではない。〈植民〉〈殖民〉という言葉は,自国の統治権内の植民地や未開拓地に移り住むことに用いるが,19世紀までは移民との区別はそれほど明確ではない。…

※「亡命貴族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

亡命貴族の関連キーワードヒッピアス(古代ギリシアの僭主)国有財産売却問題[フランス]メルラン・ド・チヨンビルフランス革命史(年表)ノーサンプトン条約シャルル(10世)シャルル[10世]晋(中国の王朝)王政復古(世界)ルイ[18世]ピシュグリュランス美術館メッテルニヒ女の愛と生涯ル・フォール十億フラン法シャミッソーアッシニャメーストルモディアノ

今日のキーワード

衣笠祥雄

[生]1947.1.18. 京都プロ野球選手。京都の平安高校時代,捕手として甲子園に出場。高校卒業後,1965年広島東洋カープに入団。内野手に転向し,1970年 10月 19日の対読売ジャイアンツ (...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android