日本歴史地名大系 「仁叟寺」の解説 仁叟寺じんそうじ 群馬県:多野郡吉井町神保村仁叟寺[現在地名]吉井町神保 下河原大沢(おおさわ)川の右岸、県道生利(しようり)―吉井線の東に位置する。曹洞宗、天祐山公田院と号し、本尊は釈迦如来。縁起では応永年間(一三九四―一四二八)に奥平(おくだいら)城主奥平貞訓が奥平村に創立、大永二年(一五二二)奥平貞能が現在地に本堂を建て双林(そうりん)寺(現北群馬郡子持村)の直翁裔正を迎え開山としたという。大永二年一〇月日の寺内での乱暴狼藉を禁じた某制札(寺蔵)に「多胡庄仁叟寺」とある。 仁叟寺じんそうじ 秋田県:鹿角市毛馬内村仁叟寺[現在地名]鹿角市十和田毛馬内 番屋平毛馬内(けまない)の北にあり、曹洞宗で凱翁山と号し、本尊は釈迦牟尼仏。寛政(一七八九―一八〇一)頃の「邦内郷村志」に、胆沢永徳(いさわえいとく)寺(現岩手県胆沢郡金ヶ崎町)の末寺で報恩(ほうおん)寺支配とある。明暦三年(一六五七)毛馬内に入った桜庭氏の菩提寺。「鹿角縁記」に「閉伊郡野田の玉川の辺普代村と云にありけるか、地頭の所替ありしのせつ、この寺も遷されしとなり」とみえ、桜庭氏入部の時、六世是端の代に建立されて儀円山と号し、八世雪山の代に現山号とした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by