日本歴史地名大系 「今宮村」の解説
今宮村
いまみやむら
〔中世〕
当村辺りは中世今宮浜・今宮庄と称され、漁家の密集する地であった。しかも今宮供御人とよばれる魚介類をとって禁裏に供御として貢進した漁民集団が住した。延喜一一年(九一一)一二月二〇日の官符によって摂津など六ヵ国が朝廷に対する日次の御贄を備進する国に指定され、多数の御厨が設置されたが(西宮記)、この時期に、当地も内膳司御厨子所の支配を受ける御厨に指定され、漁民は供御人になったとみられる。ただし、今宮の地名は、「源平盛衰記」巻四七(北条上洛平孫を尋ぬ付髑髏尼御前の事)の「今宮の前木津と云ふ所より海人を語ひて」舟を漕ぎ出して髑髏の尼が入水したと伝える記事などが早いもので、今宮供御人の活動を具体的に示す史料が現れるのも鎌倉時代にはいってからである。鎌倉初期に、内蔵寮頭が御厨子所の別当を兼任する例がひらかれると、今宮供御人も内蔵寮に属することとなった。元弘三年(一三三三)五月二四日の内蔵寮領等目録(宮内庁書陵部蔵)には「今宮供御人上洛之時蛤一鉢進之」とみえる。
今宮村
いまみやむら
- 大阪府:箕面市
- 今宮村
今宮村
いまみやむら
今宮村
いまみやむら
今宮村
いまみやむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報