今山八幡宮(読み)いまやまはちまんぐう

日本歴史地名大系 「今山八幡宮」の解説

今山八幡宮
いまやまはちまんぐう

[現在地名]延岡市山下町

五ヶ瀬川北岸、旧延岡城下を一望する今山の山上に鎮座する。祭神は品陀和気命・息長帯姫命・玉依姫命・伊邪那美命など。旧県社。八幡今山宮、また岡富おかとみにあることから岡富八幡宮ともよばれた。天平勝宝三年(七五一)に豊前宇佐宮を勧請し、臼杵庄の惣鎮守としたと伝える。しかし臼杵庄は治暦二年(一〇六六)に国司菅原義資が宇佐宮の封民二三人分の代として臼杵郡きた郷の荒野を開発して立庄され(宇佐大鏡)、次いで庄内岡富の地に岡富別符が開発される。おそらく当社の成立もこの時期で、宇佐宮に倣い遷座当初より神仏習合であったとみられる。

〔南北朝期までの沿革〕

応永二六年(一四一九)三月八日書写の今山八幡宮旧記(今山八幡宮文書)のうち嘉応二年(一一七〇)造営祭会引付によれば、三三年ごとに式年遷宮が行われ、社殿造替は本庄(臼杵庄)・岡富別符と富田とんだ(現日向市)の三ヵ庄が諸費用を負担している。同旧記のうち天永元年(一一一〇)一一月日に封郡司田部宿禰が作成した御神事并祭会料米下行引付によれば、神事祭会には前掲三ヵ庄のほかに臼杵郡内の貫崎・長田ながた・馬原・伊福形いがた粟野あわの河島かわしま井手北いできた三和みわ三須みす夏田なつたほうり舞楽(現延岡市)新名にいな(現日向市)長井ながい(現北川町)高知尾たかちお(現高千穂町)など臼杵郡のほとんどの地域が参加し、諸費用を分担している。このことから当社は臼杵郡の惣鎮守であったと考えられる。封郡司田部宿禰は日向土持氏の先祖とされる。田部氏は宇佐宮の祇官出身で、宇佐宮の封郡としての臼杵郡の経営のために派遣されていたとみられる。田部氏は応徳元年(一〇八四)に持仏堂薬師寺を建立し、嘉保元年(一〇九四)には当社の神官の長である官庁にも就いており、封郡臼杵郡と当社の密接な関係が推測される。官庁は初代田部光海から貞妙・元貞・惟家・宗綱・惟澄・宣綱へと継承され、文治六年(一一九〇)に八世妙綱(栄妙)が就任している。この間の仁平三年(一一五三)封郡司田部某が「河北 夏田」で仏性田二反を寄進している。なお天承二年(一一三二)四月火災により社殿および御神物・宣旨・御教書・引付などの書類が焼失

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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