日本歴史地名大系 「仏厳寺」の解説 仏厳寺ぶつごんじ 熊本県:熊本市熊本城下京町懸仏厳寺[現在地名]熊本市京町二丁目京町(きようまち)台のほぼ中央東側に位置し、かつては北は柳川(やながわ)小路に面し、西は京町二丁目の町人町に接する。浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。永正一〇年(一五一三)了善の開基という(国誌)。一説によると了善は豊後国に仏厳寺を建立、その子了順が竹迫(たかば)町(現菊池郡合志町)に移し、四代了訓の時現在地に再移転、五代了悟は島原の乱に功があって褒賞されたという。明治一〇年(一八七七)の西南戦争時に焼失し、飽田(あきた)郡小糸山(こいとやま)村(現飽託郡北部町)に移転した。その後再興し、旧来の仏厳寺の名称を称した。そのため現北部町にも仏厳寺が併存する。本堂前に元禄一五年(一七〇二)の石の手水鉢がある。 仏厳寺ぶつごんじ 富山県:東礪波郡井波町藤橋村仏厳寺[現在地名]井波町藤橋瑞泉(ずいせん)寺の西側に位置。単立。後素山と号し、本尊阿弥陀如来。もと瑞泉寺地中一山五ヵ寺の一。戦国期に瑞泉寺の家老で奏者的立場にあり、同寺の俗的権限を掌握していた上田石見守を寺祖とする。瑞泉寺八代准秀が慶長一八年(一六一三)に同寺を復興したのを機に上田石見守は俗的権限を捨てて僧となり、同寺境内地に寺基を構えた。上田石見守は本願寺直侍で、本願寺五世綽如(瑞泉寺開基)に供奉して越中に来たとも、信州上田(うえだ)城主の出自で、川中島の合戦後剃髪し瑞泉寺に入ったともいう(「仏厳寺由緒書」寺蔵文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報