日本歴史地名大系 「仙台城跡」の解説
仙台城跡
せんだいじようあと
天険の地に築かれた仙台城は、領内のやや南によっているものの、広瀬川の東岸には仙台平野が広がり、また奥州街道に接し、政治的・経済的な中心となる条件を備えていた。慶長五年(一六〇〇)一二月に縄張りを行い、同七年五月に一応の完成をみる山城で、本丸が青葉山にあることから近代に入り雅名として青葉城とも称するようになった。その地は伊達政宗以前に当地方を領していた国分氏のかつての居城
〔築城の理由〕
一つには自然地形に恵まれていた。青葉山の西に深さ一五メートル、幅四七メートル、長さ六二メートルの堀切を設け、その奥は人馬通行の困難な山林が広がり、南は人馬不叶とされた深さ四五メートルにも及ぶ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報