朝日日本歴史人物事典 「伊藤小太夫」の解説
伊藤小太夫(2代)
生年:生年不詳
江戸前期の若女形の歌舞伎役者。上方から一時江戸へ下ったが,上京して延宝8(1680)年,京北側芝居で初代嵐三右衛門と共演した「吉野身請」でその名を高め,その後の評判記でもこの興行のことがしばしば触れられている。再び江戸に下って活躍,「面体みやびやかにして女の所作芸うつらぬといふ事なし」といわれ,濡れ事,愁嘆の台詞の名人で,傾城役を得意とした。彼が江戸で着た小袖模様は「小太夫鹿の子」と呼ばれ,庶民の間で大流行した。没後,弟子がその名を継ぎ若女形として舞台を勤めていたが,元禄年間(1688~1704)以降,記録をみない。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,『日本庶民文化史料集成』6巻
(北川博子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報