佐渡国分寺跡(読み)さどこくぶんじあと

日本歴史地名大系 「佐渡国分寺跡」の解説

佐渡国分寺跡
さどこくぶんじあと

[現在地名]真野町国分寺 経ヶ峯

竹田たけだ川と支流大道だいどう川に挟まれた段丘は新国府・下国府・守護館の雑太さわた城跡の竹田段丘と、国分寺・古総社の国分寺・中沢田なかさわだ段丘に分岐する。西方国分尼こくぶに寺比定地、新総社・古代官衙比定地、吉岡よしおか城跡の吉岡段丘と府中の官衙が集中する地域である。寺跡は鏃状の段丘基部、東西八〇〇メートル・南北二五〇メートル・標高五〇メートルの要害地で、現在の国分寺の西に位置する。東はきようみね瓦焼成窯と国分寺城である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「佐渡国分寺跡」の解説

さどこくぶんじあと【佐渡国分寺跡】


新潟県佐渡市国分寺にある寺院跡。国仲平野を見おろす場所に位置し、741年(天平13)に聖武天皇の詔(みことのり)によって全国に建立された国分寺の一つで、764年(天平宝字8)、佐渡国分寺として落成したといわれている。北陸地方では珍しい瓦葺き屋根の佐渡における最古の寺院だったが、1529(享禄2)の火災焼失。現在の国分寺の西側に、金堂回廊・中門・南大門・塔跡・新堂跡などの礎石が並び、当時の壮大な伽藍(がらん)の様子がしのばれることなどから、1929年(昭和4)に国の史跡に指定され、現在は史跡公園として整備されている。両津港から車で約35分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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