児童文学作家。本名佐藤暁(さとる)。神奈川県横須賀市に生まれる。関東学院工業専門学校建築科卒業(1949)。市役所職員、中学校教員などの職を経て、実業之日本社で児童図書の編集等に携わる(1954~1970)。在学中から童話創作を志し平塚武二(たけじ)に師事。1950年(昭和25)、長崎源之助(1924―2011)、神戸(かんべ)淳吉(1920―2011)、いぬいとみこらと同人誌『豆の木』創刊。1959年『だれも知らない小さな国』を自費出版。同年講談社から出版され毎日出版文化賞、日本児童文学者協会賞、国際アンデルセン賞国内賞を受賞。小学生のとき、大好きな小山で「こぼしさま」とよばれる小人に出会った僕、それもしだいに忘れ、やがて青年となり迎えた終戦、僕は引かれるようにふたたび小山へ出かけ小人たち(コロボックル)の国を守るために力を貸していく。この作品は物語性に乏しかった日本の児童文学界に新風をもたらし、また個の尊重という現代児童文学の大きなテーマを含み、第二次世界大戦後の長編創作児童文学の大きな転換期を象徴する作品となった。さらに日本での本格的ファンタジー作品として高い評価を受けた。完結編である第五作『小さな国のつづきの話』(1983)まで24年をかけ、さらに別巻『小さな人のむかしの話』(1987)も出版されている(第二作から四作までは、1962年に『豆つぶほどの小さないぬ』、1965年『星からおちた小さな人』、1971年『ふしぎな目をした男の子』がそれぞれ刊行されている)。著者のファンタジーに関する考え(人間の心の内側に入り込んで描写する形式の文学分野)は評論『ファンタジーの世界』(1978)によく現れている。
長編ばかりでなく短編作品にも秀逸な作品が多い。また絵本『おおきなきがほしい』(1971)などや、野間児童文芸賞を受賞した幼年文学『おばあさんのひこうき』(1966)など、多様なジャンルにわたってたくさんの作品がある。すでに『佐藤さとる全集』全12巻(1972~1974)、『佐藤さとるファンタジー全集』全16巻(1982~1983)が出版されている。どの作品にも一貫して確かな現実に裏打ちされたさまざまな「ふしぎ」が描かれ、何より読者である子供たちの支持を得、世代を超えて読み継がれている。加えて、つねに村上勉(1943― )の挿絵があったことにより、独自の世界をいっそう強めてきたといえる。
[佐藤凉子]
『『おおきなきがほしい』(1971・偕成社)』▽『『佐藤さとる全集』全12巻(1972~1974・講談社)』▽『『佐藤さとるファンタジー全集』全16巻(1982~1983・講談社)』▽『『小さな国のつづきの話』(1983・講談社)』▽『『コロボックル物語1 だれも知らない小さな国』『コロボックル物語2 豆つぶほどの小さないぬ』『コロボックル物語3 星からおちた小さな人』『コロボックル物語4 ふしぎな目をした男の子』(1985・講談社)』▽『『小さな人のむかしの話』(1987・講談社)』▽『『おばあさんの飛行機』(1999・偕成社)』▽『『ファンタジーの世界』(講談社現代新書)』
(2017-2-21)
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
… そうしたなかで,当時文学的にも社会的にも無名だった若い世代は,模索の手を未明の伝統という聖域へ伸ばし,53年の早大童話会による〈少年文学宣言〉を皮切りに,未明の伝統への否定的克服の道を歩みはじめた。60年,外国児童文学の洗礼を受けた石井桃子,瀬田貞二,渡辺茂男らのグループが《子どもと文学》を刊行したことでその動きはさらに強まり,57年,いぬいとみこの長編幼年童話《ながいながいペンギンの話》を筆頭に,神沢利子,佐藤さとる,中川李枝子,古田足日,松谷みよ子,山中恒らの新人作家がそれぞれの処女作をひっさげて登場,60年を越えた時点で日本の児童文学地図は完全に塗りかえられるに至った。以来今日まで,翻訳や評論・研究の分野を含め,また読書運動など普及の面も含めて児童文学は盛況の一途をたどっている。…
※「佐藤さとる」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新