いぬいとみこ(読み)イヌイトミコ

デジタル大辞泉 「いぬいとみこ」の意味・読み・例文・類語

いぬい‐とみこ〔いぬゐ‐〕

[1924~2002]児童文学作家。東京の生まれ。本名、乾富子。岩波少年文庫編集のかたわら創作活動に従事。「うみねこの空」で昭和40年度(1965)野間児童文芸賞受賞。他に「ツグミ」「ながいながいペンギンの話」「北極のムーシカミーシカ」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「いぬいとみこ」の意味・わかりやすい解説

いぬいとみこ
(1924―2002)

児童文学作家。本名乾富子。東京生まれ。日本女子大学中退、平安女学院卒業。東京・大森、のちに山口県柳井町(現、柳井市)で保育園に勤める。第二次世界大戦後しばらくして創作を始め、1950年(昭和25)日本児童文学者協会新人会に入り、佐藤さとる、長崎源之助(1924―2011)、神戸淳吉(かんべじゅんきち)(1920― )らと同人誌『豆の木』を創刊。同年岩波書店に入社(1970年退社)。児童文学の編集者として西欧の児童文学の影響を受け、わが国の伝統的な童心主義を排除し、幼児であっても現実と闘い、自ら成長していくべきとするファンタジー童話によって注目された。1954年『ツグミ』で日本児童文学者協会新人賞を受賞。おもな作品に、『ながいながいペンギンの話』(1957。毎日出版文化賞)、『木かげの家の小人たち』(1959)、『北極のムーシカミーシカ』(1961)、『うみねこの空』(1965。野間児童文芸賞)、『くらやみの谷の小人たち』(1972)、『光の消えた日』(1978)などがある。その後も、『あゆみとひみつのおともだち』(1979)、『雪の夜の幻想』(1981)、『山んば見習いのむすめ』(1982。赤い鳥文学賞)、『ゆうびんサクタ山へいく』(1983)、三部作『白鳥ふたごものがたり』(1986)と書き継いできたが、いずれも社会的意識に目覚めたヒューマンな作品である。なお上記文学賞のほかに、『木かげの家の小人たち』で国際アンデルセン賞国内賞を、『北極のムーシカミーシカ』で同賞佳作賞を受賞、『光の消えた日』と『白鳥のふたごものがたり』が、1987年度路傍の石文学賞を受賞するなど受賞多数。2002年(平成14)1月肺炎のため死去

[西本鶏介]

『『白クマそらをとぶ』(1963・小峰書店)』『『山んばと空とぶ白い馬』(1976・福音館書店)』『『リラと白樺の旅――児童文学とわたし』(1977・理論社)』『『光の消えた日』(1978・岩波書店)』『『ツグミ』(大藤幹夫編『展望 日本の児童文学』所収・1978・双文社)』『『あゆみとひみつのおともだち』(1979・岩波書店)』『『雪の夜の幻想』(1981・童心社)』『『山んば見習いのむすめ』(1982・福音館書店)』『『ゆうびんサクタ山へいく』(1983・理論社)』『『白鳥のふたごものがたり1 ユキとキララと七わの白鳥』『白鳥のふたごものがたり2 ユキのぼうけんホノカのうた』『白鳥のふたごものがたり3 ちいさいナナと魔女ガラス』(1986・理論社)』『『子どもと本をむすぶもの』(1987・晶文社)』『神宮輝夫著『現代児童文学作家対談6 いぬいとみこ・神沢利子・松谷みよ子』(1990・偕成社)』『岡田純也著『子どもの本の魅力――宮沢賢治から安房直子まで』(1992・KTC中央出版)』『『くらやみの谷の小人たち』『木かげの家の小人たち』(福音館文庫)』『『ながいながいペンギンの話』(岩波少年文庫)』『『北極のムーシカミーシカ』(理論社・フォア文庫)』『『うみねこの空』(角川文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「いぬいとみこ」の解説

いぬい とみこ
イヌイ トミコ

昭和・平成期の児童文学作家 ムーシカ文庫主宰。



生年
大正13(1924)年3月3日

没年
平成14(2002)年1月16日

出生地
東京

本名
乾 富子

学歴〔年〕
日本女子大学国文科中退,平安女学院専攻部保育科〔昭和19年〕卒

主な受賞名〔年〕
児童文学者協会新人賞(第4回)〔昭和29年〕「つぐみ」,毎日出版文化賞(第11回)〔昭和32年〕「ながいながいペンギンの話」,国際アンデルセン賞(国内賞 第1回・第2回)〔昭和36年・昭和38年〕「木かげの家の小人たち」「北極のムーシカミーシカ」,野間児童文芸賞(第3回)〔昭和40年〕「うみねこの空」,サンケイ児童出版文化賞(第29回・第30回・第34回)〔昭和57年・昭和58年・昭和62年〕「雪の夜の幻想」「山んば見習いのむすめ」「白鳥のふたごものがたり」,赤い鳥文学賞(第13回)〔昭和58年〕「山んば見習いのむすめ」,路傍の石文学賞(第9回)〔昭和62年〕

経歴
戦時中は東京・大森で、のち山口県柳井町(現・柳井市)で保育園に勤める。昭和21、2年ごろから創作を始め、「子どもの村」「童話」などに投稿。25年日本児童文学者協会新人会に入り、同時に神戸淳吉らと同人誌「豆の木」を創刊。同年岩波書店入社、「岩波少年文庫」など児童図書編集者として勤めながら創作を続ける。32年「ながいながいペンギンの話」を発表し、ロングセラーとなり、第11回毎日出版文化賞受賞。40年“ムーシカ文庫”を開く。45年退社し、創作に専念。他の主な作品に「ふたごのこぐま」「木かげの家の小人たち」「北極のムーシカミーシカ」「うみねこの空」「光の消えた日」「雪の夜の幻想」「山んば見習いのむすめ」「白鳥のふたごものがたり」(3部作)など。平成13年作品「光の消えた日」の舞台となった戦時保育園・ほまれ園のある柳井市尾ノ上に記念碑が建てられた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「いぬいとみこ」の解説

いぬい とみこ

1924-2002 昭和後期-平成時代の児童文学作家。
大正13年3月3日生まれ。昭和25年から19年間「岩波少年文庫」を編集。そのかたわら創作をつづけ,32年「ながいながいペンギンの話」で毎日出版文化賞。35年「木かげの家の小人たち」でファンタジーの領域を開拓した。40年「うみねこの空」で野間児童文芸賞。ムーシカ文庫主宰。平成14年1月16日死去。77歳。東京出身。平安女学院卒。本名は乾富子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「いぬいとみこ」の解説

いぬい とみこ

生年月日:1924年3月3日
昭和時代;平成時代の児童文学作家
2002年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のいぬいとみこの言及

【児童文学】より

… そうしたなかで,当時文学的にも社会的にも無名だった若い世代は,模索の手を未明の伝統という聖域へ伸ばし,53年の早大童話会による〈少年文学宣言〉を皮切りに,未明の伝統への否定的克服の道を歩みはじめた。60年,外国児童文学の洗礼を受けた石井桃子,瀬田貞二,渡辺茂男らのグループが《子どもと文学》を刊行したことでその動きはさらに強まり,57年,いぬいとみこの長編幼年童話《ながいながいペンギンの話》を筆頭に,神沢利子,佐藤さとる,中川李枝子,古田足日,松谷みよ子,山中恒らの新人作家がそれぞれの処女作をひっさげて登場,60年を越えた時点で日本の児童文学地図は完全に塗りかえられるに至った。以来今日まで,翻訳や評論・研究の分野を含め,また読書運動など普及の面も含めて児童文学は盛況の一途をたどっている。…

※「いぬいとみこ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android