佐藤一英(読み)サトウ イチエイ

20世紀日本人名事典 「佐藤一英」の解説

佐藤 一英
サトウ イチエイ

大正・昭和期の詩人



生年
明治32(1899)年10月13日

没年
昭和54(1979)年8月24日

出生地
愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)

学歴〔年〕
早稲田大学英文科予科〔大正8年〕中退

主な受賞名〔年〕
詩人懇話会賞〔昭和14年〕

経歴
ポーや三富朽葉に傾倒して詩を志す。大正11年「楽園」同人。また春山行夫らと名古屋で「青騎士」を創刊詩集晴天」「故園の森」を刊行。昭和3年上京し、雑誌に詩論を発表。7年「新詩論」を創刊。9年以降日本詩の韻律を研究、10年「聯」という五七調定型詩を創作、「新韻律詩抄」を発行、13年聯詩社を設立。この頃から内容の上でも古典志向が見られ、古事記に取材した「大和し美し」や祖神崇拝をうたった「魂の楯」を発表。戦時中には戦争詩集「剣とともに」「みいくさの日」がある。25年「樫の葉」創刊、34年中部日本詩人連盟委員長、43年「韻律」主宰。ほかに詩集「終戦の歌―ヒロシマの瓦」「カシヲフの笑ひ」、訳詩「ポオ全詩集」など。一方、無名時代の宮沢賢治才能を見い出し、長編童話を書くことを勧め、自ら編集・発行していた雑誌「児童文学」に「グスコーブドリの伝記」などを掲載したことでも知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤一英」の意味・わかりやすい解説

佐藤一英
さとういちえい
(1899―1979)

詩人。愛知県に生まれる。早稲田(わせだ)大学英文科予科中退。予科時代、吉田一穂(いっすい)、中山義秀(ぎしゅう)、横光利一(りいち)らと知る。菊池寛(かん)論『軽さと重さ』(1919)によって注目されたが、のちに春山行夫(ゆきお)らと詩誌『青騎士』を創刊。また『文芸時代』『詩と詩論』『新詩論』などに精力的に詩、評論を発表。おもな詩集に、若々しいロマンチシズムに彩られた処女詩集『晴天』(1922)、『故園の莱(あかざ)』(1923)、『魂の楯(たて)』(1942)などのほか、第二次世界大戦後の時代状況を歌った『乏しき木片』(1947)、『幻の鐘』(1948)などがある。新韻律詩を実践提唱したことでも知られ、『新韻律詩論』(1940)がある。

[原 子朗]

『『日本詩人全集32 明治大正詩集』(1969・新潮社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤一英」の解説

佐藤一英 さとう-いちえい

1899-1979 大正-昭和時代の詩人。
明治32年10月13日生まれ。大正11年春山行夫らと「青騎士(せいきし)」を創刊。同年象徴詩集「晴天」を刊行。のち古典的詩風にかわるとともに,日本詩の韻律の研究と実作に転じ,「新詩論」「椎の木」に論考を発表,詩集「新韻律詩抄」「空海頌(そらうみのたたえ)」などをあらわした。昭和54年8月24日死去。79歳。愛知県出身。早大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐藤一英」の解説

佐藤 一英 (さとう いちえい)

生年月日:1899年10月13日
大正時代;昭和時代の詩人。中部日本詩人連盟委員長
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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