中山義秀(読み)なかやまぎしゅう

精選版 日本国語大辞典 「中山義秀」の意味・読み・例文・類語

なかやま‐ぎしゅう【中山義秀】

小説家福島県大屋村(西白河郡大信村出身。本名議秀。早稲田大学英文科卒。在学中から横光利一らと同人雑誌を発行。昭和一三年(一九三八)「厚物咲」で芥川賞受賞。晩年は歴史小説をよくした。日本芸術院会員。著「碑」「テニヤンの末日」「咲庵」など。明治三三~昭和四四年(一九〇〇‐六九

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デジタル大辞泉 「中山義秀」の意味・読み・例文・類語

なかやま‐ぎしゅう〔‐ギシウ〕【中山義秀】

[1900~1969]小説家。福島の生まれ。本名、議秀。「厚物咲あつものざき」で芥川賞受賞。晩年は歴史小説を多く手がけた。他に「いしぶみ」「テニヤンの末日」「咲庵しょうあん」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中山義秀」の意味・わかりやすい解説

中山義秀
なかやまぎしゅう
(1900―1969)

小説家。明治33年10月5日、福島県大屋村(現白河(しらかわ)市大信(たいしん))に生まれる。本名議秀。早稲田(わせだ)大学英文科時代、横光利一(りいち)らと同人雑誌『塔』を創刊。卒業後教師生活を送る。1933年(昭和8)校長の強要により退職。病妻を抱え失意の生活を送る。35年妻、父が死去。『厚物咲(あつものざき)』(1938)で第7回芥川(あくたがわ)賞受賞。『碑(いしぶみ)』(1939)で作家的地位を固めた。これらの作品を義秀は「私の一種の遺言状」のつもりで執筆したと回想している。『碑』は剣術に秀(すぐ)れた斑石(まだらいし)三兄弟(次兄の茂次郎は義秀の祖父)に託して、維新の激動期に生きた没落士族の数奇な運命をつづっている。第二次世界大戦後、歴史小説に新境地を拓(ひら)いた。『新剣豪伝』(1955)を含む『中山義秀自選歴史小説集』全8巻(1957)として発刊。明智光秀(あけちみつひで)を描いた歴史小説『咲庵(しょうあん)』(1964)で第17回野間(のま)文芸賞受賞。一方、横光利一の伝記であるが、そのかたわらで暗澹(あんたん)たる苦患半生をたどった義秀の自伝にもなっている『台上の月』(1963)や、随筆『二つの生涯』(1960)、『私の文壇風月』(1966)など評価が高い。1966年(昭和41)芸術院賞受賞。67年芸術院会員。昭和44年8月死去。死の前日洗礼を受ける。ほかに『テニヤンの末日』(初出1948、小説集1949)、未完の作『芭蕉庵桃青(ばしょうあんとうせい)』(1965~69、没後1970刊)がある。71年出生地の大信村に記念碑が、千葉県成田山公園に文学碑が建った。

[山崎一穎]

『『中山義秀全集』全9巻(1971~72・新潮社)』『青柳優「中山義秀論」(『早稲田文学』1941・四所収)』『『中山義秀』(『平野謙作家論集』所収・1971・新潮社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「中山義秀」の意味・わかりやすい解説

中山義秀 (なかやまぎしゅう)
生没年:1900-69(明治33-昭和44)

小説家。福島県出身。本名議秀。県立安積中学から早大予科に入り,1923年文学部英文科卒業。英語教師として33年まで三重・千葉両県の中学に勤めた。早大在学中生涯の〈師友〉横光利一と知り,横光,小島勗(つとむ)らと同人雑誌《塔》を発刊,大正末期には《早稲田文学》にも作品を載せ,また同期の帆足図南次(ほあしとなじ)と《農民リーフレット》を創刊して当時の農民文学運動の一翼を担った。昭和期に入っても二,三の同人雑誌に拠り,不運な境涯に見舞われて酒と無頼に浸りながらも文士的反骨を貫いた。長い苦節の後38年《厚物咲》で独自の人生観を描き芥川賞を受ける。ついで《碑》(1939)で作家的地歩を固めて《文学界》同人となり,長編《美しき囮(おとり)》(1940)を書く。太平洋戦争下海軍報道班員として南方に派遣され,その体験は《テニヤンの末日》(1948)を生んだ。戦後は戊辰戦争に敗れた郷土史に材を得た《信夫(しのぶ)の鷹》(1948)などの佳編もある。《咲庵(しようあん)》(1963-64)は明智光秀に作者自身の人間観を投影して歴史小説に奥行きを与えた。67年芸術院会員。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中山義秀」の意味・わかりやすい解説

中山義秀
なかやまぎしゅう

[生]1900.10.5. 福島,大屋
[没]1969.8.19. 東京
小説家。 1923年早稲田大学英文科卒業。在学中横光利一らと『塔』を創刊,身辺の不幸が続く長い無名時代を経て,『電光』 (1936) が小林秀雄に認められ,『厚物咲』 (38) で芥川賞受賞。幕末天狗党に加わった祖父をモデルとする『碑 (いしぶみ) 』 (39) 発表後,小林らの『文学界』同人に参加 (40) 。第2次世界大戦後は戦争に取材した『テニヤンの末日』 (48) をはじめ,『信夫の鷹』 (48) ,『咲庵 (しょうあん) 』 (63~64) などの歴史小説,兄事した横光の生を描く『台上の月』 (62~63) などを書いた。 66年日本芸術院賞受賞。

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百科事典マイペディア 「中山義秀」の意味・わかりやすい解説

中山義秀【なかやまぎしゅう】

作家。本名議秀。福島県生れ。早大英文科卒。《文学界》に発表した《厚物咲》で1938年芥川賞,人生派作家として活躍。戦前には他に《碑》などの作品がある。戦時中は海軍報道班員として南方に派遣され,その経験をもとに《テニヤンの末日》(1948年)を書いた。他に《咲庵》等の歴史小説がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中山義秀」の解説

中山義秀 なかやま-ぎしゅう

1900-1969 昭和時代の小説家。
明治33年10月5日生まれ。横光(よこみつ)利一らと同人雑誌「塔」を刊行。昭和13年「厚物咲(あつものざき)」で芥川賞。戦後は戦記文学「テニヤンの末日」,歴史小説「咲庵(しょうあん)」など幅ひろい仕事をした。41年芸術院賞。芸術院会員。昭和44年8月19日死去。68歳。福島県出身。早大卒。本名は議秀。作品はほかに「碑(いしぶみ)」「信夫(しのぶ)の鷹(たか)」「新剣豪伝」など。

中山義秀 なかやま-よしひで

なかやま-ぎしゅう

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