三富朽葉(読み)ミトミクチハ

精選版 日本国語大辞典 「三富朽葉」の意味・読み・例文・類語

みとみ‐くちは【三富朽葉】

  1. 詩人。長崎県出身。本名義臣。名は、一般には「きゅうよう」と呼ばれる。早稲田大学英文科卒。フランス象徴派の詩人に傾倒し、詩作のかたわら、フランス象徴詩に関する翻訳評論などを残した。詩集「三富朽葉詩集」など。明治二二~大正六年(一八八九‐一九一七

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20世紀日本人名事典 「三富朽葉」の解説

三富 朽葉
ミトミ キュウヨウ

明治・大正期の詩人



生年
明治22(1889)年8月14日

没年
大正6(1917)年8月2日

出生地
長崎県壱岐郡武生水村

本名
三富 義臣

学歴〔年〕
早稲田大学高等予科英文科〔明治44年〕卒

経歴
早くから「新小説」「文庫」などに短歌や詩を投稿し、早大時代の明治41年にマラルメ散文詩「秋の悲歌」を翻訳発表する。42年今井白楊らと自由詩社を結成し「自然と印象」を創刊口語自由詩運動を展開。象徴主義に関心を寄せた多くの詩作を「早稲田文学」などに発表。没後の大正15年「三富朽葉詩集」が刊行された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三富朽葉」の意味・わかりやすい解説

三富朽葉
みとみくちは
(1889―1917)

詩人。長崎県壱岐(いき)郡武生水(むしょうず)村(現壱岐市郷ノ浦(ごうのうら)町)に生まれる。本名義臣。東京の暁星中学校に入り、1911年(明治44)7月早稲田(わせだ)大学を卒業。1909年自由詩社を結成し、パンフレット『自然と印象』を刊行、22編の作品を発表して注目された。また『三田(みた)文学』や『朱欒(ざんぼあ)』に「雨の唄(うた)」「冬の唄」など重要な作品も書いた。象徴派からベルハーレン風の理想主義の詩風に特色をもつ。大正6年8月2日、千葉県の犬吠埼(いぬぼうさき)の海で親友の詩人今井白楊(はくよう)とともに溺死(できし)した。死後、未発表の遺稿を加えて一巻にまとめた『三富朽葉詩集』(1926・第一書房)や『三富朽葉全集』全3巻(1978・牧神社)がある。

[古川清彦]

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百科事典マイペディア 「三富朽葉」の意味・わかりやすい解説

三富朽葉【みとみきゅうよう】

詩人。本名義臣。長崎県生れ。早大英文卒。マラルメランボーらフランス象徴詩の移入・紹介に努め,《早稲田文学》などに口語自由詩の先駆的な作品を発表した。しかし,若くして水死。遺稿集に《三富朽葉詩集》がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三富朽葉」の解説

三富朽葉 みとみ-くちは

1889-1917 明治-大正時代の詩人。
明治22年8月14日生まれ。自由詩社結成にくわわり,機関誌「自然と印象」などに寄稿。フランス象徴詩にまなび,口語散文詩の先駆的作品をのこした。大正6年8月2日千葉県犬吠埼(いぬぼうざき)で今井白楊(はくよう)と遊泳中,ともに水死。29歳。遺稿集に「三富朽葉詩集」(増田篤夫編)。長崎県出身。早大卒。本名は義臣。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三富朽葉」の意味・わかりやすい解説

三富朽葉
みとみきゅうよう

[生]1889.8.14. 長崎,壱岐
[没]1917.8.2. 千葉
詩人。本名,義臣。 1909年早稲田大学在学中に人見東明らと自由詩社を結成,機関誌『自然と印象』や『早稲田文学』に『仏蘭西文壇の現在』 (1913) などフランス象徴詩の紹介や評論および自作の口語自由詩を発表。犬吠岬で遊泳中溺死した。没後『三富朽葉詩集』 (26) が刊行された。

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367日誕生日大事典 「三富朽葉」の解説

三富 朽葉 (みとみ くちは)

生年月日:1889年8月14日
明治時代;大正時代の詩人
1917年没

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