日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤善夫」の意味・わかりやすい解説
佐藤善夫
さとうよしお
(1927―1990)
写真家。音楽評論家からフォト・ジャーナリストに転じ、アメリカでも活躍するが、後年は写真・美術の教育にも力を注いだ。アメリカでの名はアーネスト・サトウErnest Satow。日本人の父とアメリカ人宣教師だった母のあいだに、東京・本郷で生まれる。1949年(昭和24)早稲田大学法学部を卒業。在学中に調査・作成した、1925年(大正14)以降の日本におけるクラシック音楽の総ディスコグラフィーが評価され、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の教育機関CIE(民間情報教育局)で、音楽の講師および評論家として活動。CIE図書館で毎週開催されていたレコード・コンサートで解説を担当し、また作曲家・指揮者レナード・バーンスタインの来日招聘を実現。1951年に渡米、オクラホマ州立大学に入学し、音楽学・音楽史を専攻する。1952年ニューヨークに移住し、コロンビア大学に転入、美術史を専攻するかたわら、アメリカ国際省国際放送局(ボイス・オブ・アメリカ)で音楽番組の制作にたずさわる。1956年三菱銀行ニューヨーク支店に就職し、給料からの貯金で写真機材を購入。翌1957年同行を辞め、写真撮影や暗室処理の技術を独学で身につけて、フリーランスの写真家として活動をはじめる。ぶれの効果をもちいて飛翔する鳥を撮影した「フライング・バーズ」(1957)などの作品がいち早く評価され、1958年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)に収蔵される。
1960年『ナショナル・ジオグラフィック』誌に、国連総会に参加した旧ソビエト連邦共産党書記長フルシチョフ、インド首相ネルーら、各国首脳のポートレートを発表。同年より『ライフ』誌の委嘱を受け、ニューヨークのハーレムに住むキューバ人移民の生活、アメリカ在住の日本人芸術家などを取り上げた、さまざまなテーマのフォト・エッセイを同誌に発表する。1962年『ライフ』誌特派員として来日し、以後、活動の場を日本に置く。1968年より京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)で教鞭をとり、1987年まで写真実技、写真史などの授業を担当。モダニズムの美学に貫かれた姿勢で学生の指導にあたり、のちに美術家として活躍する森村泰昌(やすまさ)、石原友明(1959― )らがその講義助手を務めた。佐藤の没後、1998年(平成10)に草月美術館(東京)で彼の写真家としての業績を検証する回顧展が開催された。
[大日方欣一]
『『Y. アーネスト・サトウ写真集』(1998・講談社)』▽『35mm Negs and Prints(1960, Amphoto, New York)』▽『Taking Pictures After Dark(1960, Amphoto, New York)』