余村(読み)あまりむら

日本歴史地名大系 「余村」の解説

余村
あまりむら

[現在地名]院内町上余かみあまり下余しもあまり

恵良えら川の上流域、支流の余川が合流する山間部に下余があり、その南の山間部に上余がある。東は上納持かみのうじ村、南は大坪おおつぼ村。「豊前志」によると、地名古代余戸あまるべ郷に由来するという。小倉藩元和人畜改帳では高三七一石余、家数一六・人数五五(うち百姓九・牢人一・名子六)、牛四・馬一。百姓には小庄屋が一名含まれる。延宝八年(一六八〇)には上余村と下余村に分けて記され、人数は上余村四〇・下余村九七(「人畜帳」庄家文書)


余村
よむら

[現在地名]西浅井町余

塩津中しおつなか村・横波よこなみ村の北、おお川中流両岸の段丘に立地。大川左岸を塩津街道が通る。西岡にしおかに熊谷忠平の拠った西岡城跡、東岡に陶質土器の出土する東岡遺跡がある。「伊香郡志」によれば、古検は田二九町余・畑三町一反余・屋敷一町五反余。正保郷帳では高三九五石余、山城淀藩領。延宝七年(一六七九)検地では、田三三町一反余・高三六九石余、畑一〇町六反余・四六石余、木原二町四反余・三石余、屋敷一町五反余・一五石余(伊香郡志)。元禄郷帳では甲斐甲府藩領。文政石高帳では三河吉田藩領。塩津中に鎮座香取かとり神社を氏神とする。大川おおかわ神社が鎮座。曹洞宗正応しようおう寺は、近江守護佐々木定綱が寺領を寄せ一宇の堂を建立

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android