日本歴史地名大系 「余野村」の解説
余野村
よのむら
余野村
よのむら
現
とある。この史料から、予野は東側
余野村
よのむら
余野村
よのむら
余野村
よのむら
北・東・南を
小牧代官所支配下村。高五三九石余のうち四八九石余が藩士一二人の給知。田は六町二反九畝余、畑は五三町四反余。寛文一一年(一六七一)には戸数七二、人数四二一。「徇行記」によれば「漸々ニ糧戸ツブレ貧村ナリ、此村ハ畑多クシテ薄地ニハ茶圃入交レリ、茶ノ木ハ百年余ヲ経ザレハ大株ニハナラズ、又茶ヲ採ルニハ随分古枝ヲ伐テ若枝ヲ出スカヨロシト云、又沙地ナレハ大麦ハ実ラズ、茶・桑ノ間ニ多ク小麦・荏モ栽ルトナリ、桑葉ハ蚕養ノ比、他村ヘウリツカハス」村であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報