作文心理学(読み)さくぶんしんりがく(英語表記)cognitive processes of writing

最新 心理学事典 「作文心理学」の解説

さくぶんしんりがく
作文心理学
cognitive processes of writing

リテラシーliteracy(読み書き能力,識字力)および認識や感情の関係を解明しようとする研究領域を指す。1970年代には,書かれた作文の内容分析や構造分析が中心であったが,1980年代に認知科学cognitive scienceの隆盛化に伴い,情報処理アプローチを用いて作文の産出過程producting process推敲過程editing processを推定しようとする研究が進展した。

【就学経験の認知発達への影響】 書きことばは,話しことばと違って抽象的な思考を伴うので,人間の精神過程に大きな影響を与えると考えられてきた。1960年代の研究の多くは,論理的な課題解決能力について読み書きのできる人びととできない人びとを比較し,読み書きのできる人の方が優れた解決をすることを示すことによって,認知発達への影響を論ずるものが多かった。リテラシーの体系的な学習は学校に入ってから開始されるので,就学経験の有無が抽象的思考の発達に影響することを証明する研究が多くなされた。たとえば,グリーンフィールドGreenfield,P.M.(1966,1972)は,セネガルのウォルフ族を対象にしてクラス分類課題を与え,就学経験の認知発達に及ぼす影響を調べた。就学経験のある子どもの分類の仕方は居住地域にかかわりなく,アメリカの子どもと似た成績であった。年齢が増すとともに,クラス分類次元は,色や形から機能へと高次の基準に移行する。ある次元に着目して分類した後,容易に別次元でも分類できるなど,柔軟に分類次元を変えることができた。分類の理由づけも適切で,「両方とも形が同じ」とか「どちらも食べ物」というように上位概念で回答した。ところが,未就学児は長ずるに従って,かえって色への選好性は増し,分類の理由づけも不適切であった。また,いったんある次元で分類してしまうと,別の分類基準に移行することは困難であった。就学児と未就学児のこのようなパフォーマンスの違いは,学校で提供される経験の有無によるものと解釈された。就学経験はより抽象的な基準での分類操作を発達させるとともに,課題の解決にただ一つの正しい解決法があるわけではないというような相対的なものの見方を育成するのである。

 ヨーロッパでは11~12世紀ごろに都市が急増し,商工業が栄えた。商工業が発展するにつれ労働の分業化が進み,社会経済構造が流動化した。チポラChipora,M.K.(1983)によると,広域化した商取引には対面のコミュニケーションでは間に合わず,口頭伝達に替わって商取引の手紙が用いられるようになる。商業の隆盛化により,リテラシーの需要が高まるに伴い,リテラシーへの価値づけがなされるようになったという。

 ソビエトの心理学者ビゴツキーVygotsky,L.S.(1963)は「テクノロジーや道具の変化が労働の構造に変化をもたらすように,話しことばや書きことばといったシンボル体系の変化は精神活動の再構造化をもたらす」と指摘している。人間の認識活動のあらゆる形式は,歴史的発展の過程で作り上げられたものである。したがって,シンボル体系に変化をもたらすような社会文化的変化は,より高次の記憶や思考の,そしてより複雑な心理的体制化を担うことになると考えたのである。

 ルリアLuria,A.R.(1974)はこのビゴツキー仮説を検証する目的で,1917年のロシア革命により社会的・経済的に急激な変化を遂げたウズベクキルギスの地域の人びとを対象にして,読み書き能力と問題解決能力の関連を探った。旧来の農業に従事する文字を知らない人びとに,語連想,概念分類,推理問題などを与えたところ,読み書きのできる人に比べて成績が劣っていることを見いだした。

 スクリブナーScribner,S.とコールCole,M.(1974,1978,1981)は,ルリアの知見をはじめ,従来の検証方法では複数の要因(読み書き能力,就学経験など)が交絡しているため,読み書き能力のみの効果は検出できないと批判した。彼らは,読み書き能力の要因だけを他の経験や活動とは独立に扱えるリベリアの伝統社会のバイ族を対象にして,読み書きの獲得が抽象的思考にどのような影響を与えるかについて調べた。最初は,ルリアをはじめとする多くの先行研究に倣い,バイ語の熟達者と素人にさまざまな問題解決を行なわせ,成績を比較した。その結果,リテラシーへの習熟度が影響をもたらすと考えられていた分類課題や推論課題において,熟達者と素人の成績に違いはなかった。文法ルールの説明や三段論法推論など,言語を分析するメタ言語能力がかかわるような課題においてすら,熟達者と素人の間に差はなかったのである。ではバイ語の読み書きの経験は,なんの認知的所産をももたらさないのであろうか。バイ語は商取引の手紙によく使われる。手紙は文脈化contextualizationとよばれる書き出し文から始まる。これは読み手に何について書こうとしているかを知らせる統括文のことである。熟達者は,文脈化のメッセージが良い手紙を書くのに必須であると認識している。バイ語は句読点も単語単位で分かち書きすることもないので,読むときには意味が通じるまで区切り方を変えて読み上げる。バイ語特有の手紙の書式や読解技能への熟達度の違いは,未知のゲームの説明の仕方や物語の記憶再生に影響を与えることが確認された。以上のことから,読み書き能力が転移する認知領域は限られており,読み書き能力に含まれる技能に類似した領域にのみ転移するものであるとの結論を得たのである。このことは,リテラシーが抽象的思考能力や知的技能全般に変容をもたらすわけではないことを示唆している。

 しかし,陶芸家が新しい意匠を創作するときと,壺職人が決まりきった手順で壺を焼くのとでは従事する活動の質が違う。これと同様に,読み書き技能も,使われ方によって認知的所産が変わるものと考えられる。詩作のために推敲したり,文学鑑賞のために文章分析を行なったり,あるいはより適切な,より良い表現を求めて推敲editing(ことばを探す,選ぶ)や彫琢polishing(文章を整え,磨く)するときには商取引のための決まりきった形式の手紙を書くときに比べ,はるかに複雑な情報処理が起こるはずであり,そこでは認識に何かをもたらす可能性がある。読み書き技能の適用の範囲が広がれば,その行使の結果もたらされる認知的所産も拡大すると考えられる(内田伸子,1990,1999)。

【文字作文の成立過程】 岡本夏木(1984)は,物語ることから文字作文へ,さらに1次的ことばから2次的ことばへの移行は子どもにとってたいへんな課題であると指摘している。この移行を苦しく困難な仕事にしているのは,第1に思想を媒介する手段が話しことばから書きことばへと様式が変化することによるものであろう。とくに書きことば,音声を文字化することに注意をあまり配分しなくて済むような,ある程度の自動化が起こるまでに読み書きに習熟するという問題を,子どもはまず解決しなくてはならない。さらに作文の形式,句読点など,文章を文字で表現することに伴うルールも身につける必要がある。さらに,2次的ことばへの移行期は,幼稚園・保育所から小学校へと環境が劇的に変化する時期に対応している。その変化への適応という課題も乗り越えねばならない。子どもは,就学を機に自ら進んで活動を選びとる自発的な学びから,時間割や教科書や教師によって組織される強制的な学びへと変化する「学びの変化」,「文化の相違」を克服し,適応していかねばならないという課題を同時に与えられる。これは,子どもにとって苦しく困難な仕事であるのかもしれない。

【話しことばから文章のことばへ】 幼児期から小学校1年の終わりまでの口頭作文と文字作文を比較すると,幼児期の口頭作文に見られる典型的な口調は会話体である。「~して」連用形が多用され,「~しちゃった」という会話体が使われることが多い。文節の区切れ目で助詞のネが付加され,順接の接続詞「そして」が反復されるため一文が長くなる。主語の省略も多く,後から主語を付け加える後置現象も多い。1年生の9月ごろの文字作文に目立って使われるようになる文体は文章体である。文章体は会話体と対照的で,一文が短く,敬体(ですます体)や常体(である体)の文末表現が一貫して使われる。接続詞は少なくなり,主語の省略や後置現象も見られなくなる。文体には性差があり,リテラシーに習熟している女児は男児に比べて文章体が多い。口頭作文でもやはり,文章体を使い始めるのが早い。女児は男児に比べて言語経験が豊富なため文体に敏感で,あるいは女児のリテラシーへの習熟度が高いので,表現のスタイルを整えることに注意が払えるようになったためかもしれない。口頭作文(物語や説明)を文字で書かせたところ,リテラシーの習熟に伴い,作文の書き方は変化する。最初は外言を伴わせながら文字を書く段階から黙ってすらすら文を書く段階へ,さらに書いた文章を読み返し,修正する段階へと移行していく(内田,1989)。

 作文の初期に伴う外言external speech(相手に向かって発せられる音声言語)は,発音と文字の対応を呼び出し,定位する役割,あくまでも音声の文字化を促進する役割を果たしているものと考えられる。しかし,書字能力が完成してくると,文字を書くのに外言の支えはいらなくなり,黙って書く手を止めるという停滞が観察されるようになる。停滞するのは文字と文字の間からことばや文節の間へと変化し,文の終わりに沈黙し,最終的には文章全体を書き終えたところで読み返すようになるからである。この停滞位置の変化は,停滞時の活動が質的に変化することを意味している。

 安西祐一郎と内田(1981)によると,3秒以上鉛筆が止まった箇所で停滞時の内観を報告してもらったところ,内観は,①プラン(何を書くか考えていた),②情報の検索(ことばを探した。出来事を思い出そうとした),③情報の喚起(次々に思い出が浮かんだ),④彫琢(表現を整える),⑤読み返しの五つに分類された。高学年になると,主題だけ決めて,意図と表現を調整しながら状況依存的に作文を書き進めるようになる。

【作文産出過程】 作文の産出は,話しことばの産出よりも自覚的で,絶えず作文過程をモニターし,意図と表現を調整しながら進行する。ヘイズHayes,J.R.とフラワーFlower,L.S.(1980)は,大学生を対象に作文を書きながら頭に浮かんだことをすべて外言化させる発話思考法think-aloud protocol methodを用いて作文を書く過程を観察した。その際,作文を書く過程で発せられる発話を書き起こした資料を,発話プロトコルthink-aloud protocolとよぶ。この発話プロトコルから認知過程を推測した結果,作文産出の過程は,従来いわれていたような単線型段階モデル(Rohman,G.,1965),すなわち「表現意図や思想から言語表現に段階を順序よく進む」のではなく,既有知識の貯蔵庫からの情報の検索過程,プランニングplanning,モニタリングmonitoringや読み返しreviewing,修正などの下位過程の相互交渉が絶えず起こるという,ダイナミックな非単線型であることが確認された。これに基づき,ヘイズとフラワーは作文過程のモデルを提唱した。233ページ図は作文を書いているときに進行する三つの下位過程とその関係を示している。書き手が現在着手しつつある作文の課題状況に関する知識,書き手が記憶貯蔵庫に蓄えている作文に関する知識,さらに実際の文章産出にかかわる作文過程(作文情報処理過程)という三つの下位過程から構成されており,それらが作文の過程で相互に関連し合って進行することを示している。作文過程は,思想から表現へと単線的に進行するものではなく,プランニングやモニタリング,読み返しなどの下位過程を行きつ戻りつする,非単線的なダイナミックな過程であることが表示されている。とくに,意図と表現の調整には多くのリソース(認知的処理資源cognitive resource)が費やされている。

【推敲過程】 作文の推敲は思考や知的技能にどんな影響をもたらすか。この問題を明らかにするため内田(1989)は,小学校6年生を対象にして,自分が書きたいテーマで作文を書かせた。作文を書く過程で,子どもはどのように推敲や彫琢を行なっているかを推定するため,分析方法として発話思考法を用いた。しかし,発話思考法は書く活動と考えを言語化する活動の両方を行なわせるため,被験者にとっては負担が大きく,書くことに熱中すると発話が少なくなってしまう。そこで,被験者が作文を書きながら何を考えていたのかの内観を,インタビューによって補うことにした。この方法を内観法retrospective interview methodとよぶ。そして,作文好きの6年生を対象にして,事前に簡単な算数の文章題を解く過程で考えをすべて発話する訓練を行ない,考えを発話しながら文章を書くことに慣れた段階で作文を書いてもらった。表1は,その際の発話をテープ起こしした発話プロトコルである。この作文産出過程での発話プロトコルを意味単位,すなわちアイデアユニット(動作主と述語で1単位とする)に分割し,内観法で得た補助データと突き合わせて,被験者の意識経験を推定することによって分析を行なった。

 表1に見られるように,推敲中は言語表現と表現意図の往復運動が観察される。言語表現と表現意図の調整は,まず表現(語や文章)と意図がズレているという感覚がきっかけになって生ずることがわかる。ズレの感覚が起こると,もっとピッタリという感覚がもてる対案の探索が起こる。試行錯誤的に次々と対案が浮かんできた中から,ピッタリという感覚やアッハ体験(アハ体験)が生じることばを選択する。選択されたことばを分析し評価して決定する。ことばの選択→分析→評価→決定という段階を再帰的に繰り返しながら表現が定まっていく(表2)。推敲とは書き手の意図に合致することばを選ぶことではなく,ことばを先に探し当て,後からそのことばを分析することにより,書き手自身の表現意図が自覚化されるという順に展開されるのである。

 子どもは作文を書く過程を絶えずモニターし,表現意

 

図に少しでも合うように,ピッタリしたことばを探し,納得のいく表現への書き換えを試みている。対案を評価するときには,いくつかの規準である推敲方略が使われていることがわかった。プロトコルの中で評価規準として繰り返し使われ,内観を問われると説明できる(意識化できる)ものを,内田は推敲方略と名づけた。質問されれば評価規準を意識化できるということは,他の場面でも利用できるということを意味している。このような推敲方略は14種類同定された(表3)。ことばを選択することは考えを発見することである。ピッタリという感覚が生ずるようなことばを探すことを通して,自分がいいたかったのはどんなことかを自分自身で納得する。作文の推敲とは,まさに表現意図を明確にするための自己内対話が実践される場なのである。

【書くことによる知識の変革】 作文過程では,表現したいこと(思想)に合わせてピッタリした表現を選び,当てはめていくわけではない。ことばと表象とは作り作られる関係にある。表象はことばに転化されてはっきりし,書く以前には考えてもみなかった表象が新たに湧いてくることもある。このことをビゴツキー(1968)は,「私は言おうとしていたコトバを忘れてしまった。すると具体化されなかった思想は陰の世界に帰っていってしまう」と表現した。子どもは,作文を書く前に組立メモを作成したが,そこには「自分というものを知りたい,ことばで表現したい」という目標を立て,「好きなこと→したいこと→自分のこと」を順に書き進めていく中で,「きっと私はこういうものだろう」という形で締めくくれると考えていた。下書きはこの構想に従って書き進めたが,単純な構造の自分しか見えてこない。実際の自分とはどうも違う。書き出した数が足りないのか,自分の表現力が足りないのか,考察を進めるうちに,「人間というのはことばでは表わせないものなのかもしれない」という考えに到達するようになる。いわゆることばではなく,構想の段階では存在しなかった心の中のことばの存在に気づいていったのである。書くことによって認識が深くなるということは,このように書く以前には見えなかったことがことばの力を借りてはっきりとし,自覚化する過程に伴う「主観的体験」を指しているものかもしれない(内田,1990,1999)。この主観的体験は,考えをことばで表わすことによってバラバラな思考の断片に筋道が付けられ,因果関係が明確になり文脈全体の整合的な意味がわかるときに生ずるのであろう。

【推敲の意味と意義】 推敲は作文を清書し終えてから始まるものではない。推敲は自分のアイデアや意識を明確にするために組立メモを作る段階からすでに始まっているのである。時間をかけて考えを練っていく過程でピッタリしたことばに言い表わし,物事の筋道をはっきりさせる営みなのである。これまでの作文教育の中では,意識をことばでとらえる瞬間が必ずしも大事にされてはこなかった。組立メモは思考の尖端であり,それを作る過程で,世界に対する意識の一瞬のひらめきをことばによってとらえることができる瞬間である(内田,1990)。この瞬間に新しいことばやアイデアが生まれる。時には,新たなことばの発見は生きる意味を見いだすことにつながることがある。人を癒し,人に生きる力を与えることすらあるのである。 →作文教育 →リテラシー
〔内田 伸子〕

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