改訂新版 世界大百科事典 「八陣守護城」の意味・わかりやすい解説
八陣守護城 (はちじんしゅごのほんじょう)
人形浄瑠璃。時代物。11段。中村魚岸(魚眼),佐川藤太合作。正本では《八陳守護城》と表記。1807年(文化4)9月大坂大西芝居初演。徳川氏の策謀による豊臣氏の没落を,加藤清正の豊家に対する誠忠や毒殺の俗説を中心として描き,それに大坂の陣における真田幸村の軍略家ぶりを加えた。名題の〈八陣〉は軍師正木雪総(幸村)が八陣の計を敷くことに由来し,守護城は清正の居城の肥後本城(熊本城)を暗示するとともに,加藻朝清(加藤清正)が幼君春若丸(豊臣秀頼)のために本城を守護したことを表す。長編であるが,四段目で,春若丸の身代りとして勅使饗応の席に出た朝清が,北畑春雄(徳川家康)の謀略と知りながら,春雄の老臣が命を捨てて毒酒を飲んだ忠義に感じ,自分も毒酒を飲み,身体の異常に耐えながら,御座船で悠々と本城に帰っていくところと,八段目の本城の段で,正木・児島(後藤基次)の両軍師を得て,若君守護の見通しがついたので,毒酒の物語をして死んでゆくところが眼目である。この両段を中心に歌舞伎にも輸入されたが,〈御座船の場〉などには舞台機構の効果もあって,歌舞伎の特色がよく出ている。清正を中心とした戯曲の代表作。人形では部分的に省略した通し上演と,四,八段目の上演とが多い。なお,近年は,朝清を佐藤正清,春雄を北条時政,児島は後藤の役名で上演するのが通例。
執筆者:井草 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報