内山真龍(読み)うちやままたつ

精選版 日本国語大辞典 「内山真龍」の意味・読み・例文・類語

うちやま‐またつ【内山真龍】

  1. 江戸後期国学者遠江の人。賀茂真淵の門に入り、「日本書紀」「風土記」などの古典研究著述を行なう。主著「日本紀類聚解」「出雲風土記解」「遠江風土記伝」。元文五~文政四年(一七四〇‐一八二一

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朝日日本歴史人物事典 「内山真龍」の解説

内山真竜

没年:文政4.8.22(1821.9.18)
生年:元文5.1.1(1740.1.29)
江戸中期から後期の国学者。幼名は市六,竜麿とも称した。漢詩には敬美,竜洞などの号を用いた。通称弥兵衛,徳右衛門。藤原姓。遠江国(静岡県)豊田郡大谷村の庄屋内山美真の長男。宝暦10(1760)年,浜松にきた賀茂真淵に出会い,12年,その門に入った。以後,詠歌と『日本書紀』などの古代史考証に専心した。明和2(1765)年,遠江国における古文辞学派の拠点で,真淵の漢学の師でもあった渡辺蒙庵の竹亭に入り,和漢の古学を習得した。『出雲風土記解』(3巻,写本,1787完)をはじめ,風土記の解釈,また畢生の業といわれる『日本紀類聚解』(15巻,写本,1812完)などを著した。著作35部といわれるが,学問は総じて実地調査と文献批判に基づき,交流も,江戸派国学や鈴屋門下,儒家,詩人におよび広かった。漢詩文のみるべきものもかなり残した。<参考文献>小山正『内山真竜の研究』

(ロバート・キャンベル)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「内山真龍」の意味・わかりやすい解説

内山真竜 (うちやままたつ)
生没年:1740-1821(元文5-文政4)

江戸後期の国学者。遠江の人。通称弥兵衛。渡辺蒙庵に漢学を,賀茂真淵に国学を学ぶ。真淵没後は,伊勢の本居宣長と協力して,よく遠江国学の礎を固めた。早くから《風土記》の研究に志し,諸国を実地踏査して,《出雲風土記解》《遠江国風土記伝》を相次いで完成。《日本書紀》の注釈の集大成を期した大著《日本紀類聚解》は,朝廷に献上された。その他,著作には《新撰姓氏録註》《国号考》など。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内山真龍」の解説

内山真竜 うちやま-またつ

1740-1821 江戸時代中期-後期の国学者。
元文5年1月1日生まれ。賀茂真淵(かもの-まぶち),渡辺蒙庵(もうあん)にまなぶ。現地をあるき「出雲(いずも)風土記解」「遠江国(とおとうみのくに)風土記伝」などをあらわす。遠江国学の基礎をきずいた。文政4年8月22日死去。82歳。遠江(静岡県)出身。名ははじめ敬美,竜麿。通称は弥兵衛。号は竜洞,奉国史翁など。著作はほかに「日本紀類聚解(るいじゅかい)」など。

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367日誕生日大事典 「内山真龍」の解説

内山真竜 (うちやままたつ)

生年月日:1740年1月1日
江戸時代中期;後期の国学者
1821年没

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世界大百科事典(旧版)内の内山真龍の言及

【遠江国】より

…この東征軍には遠州報国隊も従軍しており,その中心となって活動したのは浜松諏訪神社の杉浦大学など当地方の神官層であった。それには平田派の国学の影響も大きかったが,遠州の国学者としては浜松伊場村に生まれた賀茂真淵や,その門下で《遠江国風土記伝》を著した内山真竜(またつ)などが名高い。 1868年(明治1)徳川家達の駿府入封により遠江のほとんどは駿府藩(のち静岡藩)となった。…

※「内山真龍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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