清光院(読み)せいこういん

日本歴史地名大系 「清光院」の解説

清光院
せいこういん

[現在地名]天王寺区伶人町

四天王寺の西、一心いつしん寺北方にある和宗の寺で山号有栖山。創建は不詳だが寛永一七年(一六四〇)に京都清水寺から千手観音を移して本尊として以降、新清水しんきよみず寺または新清水ともよばれたという。「大阪府全志」によれば、もと有栖山有栖ありす寺と称したが享保年間(一七一六―三六)に有栖山清光寺と改称したという。「摂津名所図会大成」には有栖山新清水寺とあり、「はじめハ有栖川寺と号す」とみえ、また「蘆分船」には真清水とみえる。寺域は上町うえまち台地の西端にあって眺望に富み、本堂前の舞台からは大坂市中はもとより播磨国や淡路島まで一望できた。寺の前の道を清水きよみず坂といい、寺の南側の崖に玉出たまでの滝がある。音羽おとわの滝ともよばれ、京都清水寺にある音羽の滝を模したもので、寛政八年(一七九六)につくられ、涼みに来た者から二四文を徴したという(大阪府全志)


清光院
せいこういん

[現在地名]松江市外中原町 中原山

月照げつしよう寺南方、松江市街を一望できる中原なかばら山中腹にある曹洞宗寺院。山号は宝珠山、本尊は釈迦如来開基は清光院殿古鏡無尽居士と伝えるが、いかなる人物かは不詳。開山洞光とうこう寺の竺堂利賢。「雲陽誌」によれば、寺はもと杵築(現大社町)にあったが、天正年中(一五七三―九二)富田とだ塩谷しおたに(現広瀬町の富田城下)に移され、松江城築城に伴って現在地に移建したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清光院」の解説

清光院 せいこういん

?-1581* 戦国-織豊時代女官
万里小路(までのこうじ)秀房の娘。正親町(おおぎまち)天皇後宮にはいり,典侍となり新大典侍とよばれた。第1皇子の誠仁(さねひと)親王を生む。没後准三宮(じゅさんぐう)をおくられる。天正(てんしょう)8年12月29日死去。名は房子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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