平谷村(読み)ひらだにむら

日本歴史地名大系 「平谷村」の解説

平谷村
ひらだにむら

[現在地名]上那賀町平谷

大戸おおと村の西、那賀川支流みやだに川とじようだに川のつくる盆地に位置し、北は那賀郡木頭きとう(現木沢村)と接する。海部かいふ郡に属する。古屋ふるや村とともに木頭下山きとうしもやま村と称され、木頭下山村は木頭上山村(現木頭村)と合せて木頭村と総称された。文明八年(一四七六)六月一五日の仁宇郷公事銭注文(徴古雑抄)には中分のうちに「平名九百文」とみえるが、これは当地のことか。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図には平谷が記される。正保国絵図では「木頭之内平谷村」とみえる。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳でも海部郡の内に木頭村(現木頭村・上那賀町)の枝村として村名がみえる。文化一〇年(一八一三)の高都帳では平谷村高一五〇石余、うち本村分高四七石余とあり、御所谷ごしよだに村・じようたに村・府殿ふどの村・成瀬なるせ村・大殿おおとの村・白石しらいし村六ヵ村の高も記す。


平谷村
ひらだにむら

[現在地名]熊野町平谷

熊野盆地西端に位置し、東を除く三方を比高一〇〇―三〇〇メートルの山々に囲まれ、村内を二河にこう川支流が南流。西は矢野やの峠を境に矢野(現広島市安芸区)と、東は比高四〇メートルほどの低丘陵で熊野・川角かわすみ両村と接する。

天正一五年(一五八七)九月晦日付安芸国安南郡熊野村厳島社領名寄坪付(野坂文書)に「まとは一田壱反半 八百〆」とあるが、この「まとは」が平谷にある字的場まとばであれば、中世の平谷は熊野村に含まれていたことになる。


平谷村
ひらやむら

[現在地名]平谷村

平屋ひらや比良屋ひらやとも記された。南信濃と東海方面を結ぶ「塩の道」として古くから開けたと推測されるが、文献上の初見は天文二年(一五三三)一〇月五日、京都醍醐寺理性院厳助が文永ぶんえい寺(現飯田市南原みなばら)から帰洛の途中当地に立ち寄り、美濃国上村(現岐阜県恵那郡上矢作町)に出立した「天文二年信州下向記」(醍醐寺三宝院文書)の記事である。

また「信長公記」には、天正一〇年(一五八二)三月一四日に織田信長が武田氏追討のために根羽ねばに着陣の後、「平谷を打越」して飯田に陣を進めたことが記されている。


平谷村
ひらやむら

面積:七七・四七平方キロ

下伊那郡の南西部に位置する標高一〇〇〇メートル内外の高冷地山村。北は浪合なみあい村、東は阿南あなん和合わごう売木うるぎ村、南は根羽ねば村、西は岐阜県恵那えな郡、北西は同県中津川なかつがわ市に接する。

矢作やはぎ川の上流平谷川に沿う山間小盆地で、旧三州さんしゆう(伊那)往還(現国道一五三号)の中馬宿として栄えた。この村より西に岐阜県岩村いわむら町方面へ、東南に売木村方面へ通じる道路が分岐し、交通上の要地となっている。


平谷村
ひらだにむら

[現在地名]佐用町豊福とよふく

豊福村の北西、江川えかわ川の枝谷に開けた小平地と西境平谷深ひらだにみ(四九三メートル)東麓の標高三〇〇―四〇〇メートルの山地に立地する。慶長国絵図に平谷村とみえる。しかし正保郷帳では豊福村の村高に含まれている。元禄郷帳に古くは豊福村の注記付きで村名がみえ、高一四三石余。天保郷帳では高一五五石余。慶長一八年(一六一三)備前岡山藩領、元和元年(一六一五)平福藩領、寛永八年(一六三一)山崎藩領と変遷(「池田氏系図」池田家文庫など)


平谷村
ひらたにむら

[現在地名]名立町平谷

桂谷かつらだに村の南。名立川対岸は折戸おりと村。名立川の氾濫原沢内さわうち川の扇状地を利用して耕地も広い。正保国絵図に村名があり、延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高七六石一斗余、同所改出高二石二斗余である。天和三年郷帳に八四石三斗余とある。字開山堂かいさんどうの曹洞宗昌禅しようぜん寺蔵の薬師三尊如来像はブナ材の一木造で、善光寺三尊仏様式で、室町初期の作とされる。


平谷村
ひらだにむら

[現在地名]紀和町平谷

長尾ながお村の北にあり、北山街道が南北に通り、川畑かわばた川の支流平谷川が西に流れ北山川に注ぐ。中世は西山にしやま郷の内であったと考えられる。慶長六年(一六〇一)検地帳(徳川林政史蔵)に「平谷村」と記される。入鹿組に属する。寛文八年(一六六八)から元禄四年(一六九一)にかけて新田検地が行われた(「入鹿組平谷村新田改帳」徳川林政史蔵など)


平谷村
ひらだにむら

[現在地名]多気町平谷

五桂ごかつら池の北にあり、中央部を佐奈さな川が流れ、南に向平谷むかいひらだに、北に平谷の集落がある。北集落の真中を東西に和歌山別街道が走る。松坂から熊野に向かう道が相可おうか初瀬はせ(伊勢)本街道と交わり、南進して山間部を経て当村の東部で和歌山別街道と合する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平谷村」の意味・わかりやすい解説

平谷〔村〕
ひらや

長野県南西部,木曾山脈南端部にある村。標高 900~1000mの高冷地にある。三州街道 (国道 153号線) と国道 418号線が交差する地で明治期まではにぎわったが,伊那電鉄 (現 JR飯田線) の開通により交通路の主役を譲ることとなった。キノコ類の栽培が行われる。面積 77.37km2。人口 387(2020)。

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