出羽重遠(読み)デワ シゲトオ

20世紀日本人名事典 「出羽重遠」の解説

出羽 重遠
デワ シゲトオ

明治〜昭和期の海軍大将,男爵



生年
安政2年12月17日(1856年)

没年
昭和5(1930)年1月27日

出生地
陸奥国会津若松(福島県)

学歴〔年〕
海軍兵学寮〔明治11年〕卒

経歴
会津藩士の長男として生まれる。戊辰戦争の時に白虎隊に加わったが、城内にいて出撃しなかった。明治13年海軍少尉に任官。日清戦争では連合艦隊参謀長を務めた。33年常備艦隊司令長官、35年軍務局長兼軍令部次長。日露戦争には第1艦隊第3戦隊司令官として従軍。40年男爵を授けられる。42年佐世保鎮守府長官、44年第1艦隊司令長官を経て、45年大将に昇進。大正3年海軍の収賄事件であるシーメンス事件が発覚すると事件の査問委員長を務めた。明治期唯一の非薩摩出身の海軍大将としても知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「出羽重遠」の解説

出羽重遠

没年:昭和5.1.27(1930)
生年:安政2.12.17(1856.1.24)
明治大正期の海軍軍人。会津藩(福島県)藩士出羽佐太郎重信の長男。戊辰戦争では白虎隊に属したが鶴ケ城内にいて出撃しなかった。明治5(1872)年海軍兵学寮に入る。26年海軍省官房人事課長,同年「赤城艦長を経て,連合艦隊参謀長として日清戦争(1894~95)に出征。のち常備艦隊司令官,軍務局長兼軍令部次長などを歴任し,日露戦争(1904~05)では第1艦隊第3戦隊司令官として活躍。戦後は教育本部長,佐世保鎮守府司令長官などを歴任。40年男爵,45年大将に進む。大正3(1914)年シーメンス事件査問委員長となり海軍部内の正常化に努めた。明治期ただひとりの非薩摩出身海軍大将。<参考文献>松野良寅『海は白髪なれど』

(岸本昌也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「出羽重遠」の解説

出羽重遠 でわ-しげとお

1856*-1930 明治-大正時代軍人
安政2年12月17日生まれ。明治5年海軍兵学寮にはいる。日清(にっしん)戦争では連合艦隊参謀長,日露戦争では第一艦隊第三戦隊司令官をつとめる。45年明治期では唯一の薩摩(さつま)出身でない海軍大将となる。大正3年シーメンス事件の査問委員長となった。昭和5年1月27日死去。76歳。陸奥(むつ)会津郡(福島県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「出羽重遠」の解説

出羽 重遠 (でわ しげとお)

生年月日:1856年12月17日
明治時代-昭和時代の海軍軍人。大将;男爵
1930年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android