初期キリスト教美術(読み)しょきキリストきょうびじゅつ(英語表記)Early Christian Art

改訂新版 世界大百科事典 「初期キリスト教美術」の意味・わかりやすい解説

初期キリスト教美術 (しょきキリストきょうびじゅつ)
Early Christian Art

200年ころから6世紀末にかけて地中海沿岸とその周辺の内陸部に展開した美術。キリスト教的主題と目的に従った作品を中心とするが,美術史的見地からは,関連ある同時代の異教的・世俗的作品も含める。時代の前半は西洋古代美術の最終段階である古代末期と,後半は初期ビザンティン美術と重なっている。美術史的特徴に従って三つの編年的段階に分けることができる。本項では絵画モザイク,壁画)と彫刻浮彫)を中心に記述し,建築に関しては〈バシリカ〉〈教会堂建築〉等の項目を参照されたい。

(1)キリスト教美術の起源から313年のキリスト教信仰の公認(いわゆる〈ミラノ勅令〉)まで。公認以前のキリスト教美術は一般に規模も小さく,現存する遺物は葬祭に関連した作品を中心とし,個人的,秘儀的色彩が強い。3世紀以前にキリスト教固有の美術があったかどうかは確かではないが,200年ころには,ローマあるいはユダヤ教美術の図像の一部が転用され,キリスト教的解釈が与えられていたことは確実である(アレクサンドリアクレメンス《教育者》Ⅲ,11)。再解釈を施された古代異教,ユダヤ教図像の一部(ウェルギリウス風の牧歌的風景,海景,獅子の穴の中の預言者ダニエル,スザンナとよこしまな長老たちなど)は,初期キリスト教図像体系の重要な一環となってその後も長く存続した。ローマ市郊外に最多例を残すカタコンベの壁画は,幾何学的線を用いた壁面の分割と,その小区画内に配した単純な象徴像の様式において,2世紀後半のローマ壁画の伝統を踏襲しているが,図像においてしだいにキリスト教的意味合いを強めていく(ローマ市,カリストゥスのカタコンベ天井画,200ころ-210ころ)。死者を葬った石棺側面の浮彫群にも異教,ユダヤ教からキリスト教固有なものにという同様な経過が見られる(ローマ市,サンタマリア・アンティクアの石棺,245ころ)。ローマ市を中心とする多数の葬祭芸術の遺例が著しく象徴的であるのに対し,シリア奥地のドゥラ・ユーロポス遺跡から出土した個人の私宅を改造した集会所(240ころ)の洗礼室壁画は,洗礼の秘跡に関連した象徴性とともに,福音書の物語を率直に語る説話性を併せ備えている。このような説話的傾向は4世紀初頭に至って,絵画にも彫刻にもいっそう顕著となった。

(2)313年以降ユスティニアヌス1世の即位(527)まで。コンスタンティヌス大帝とその一族の強力な援助により,キリスト教美術は建築とともに一挙に大芸術へと成長する。同時に在来ローマ帝国芸術の伝統が流入し,キリスト教美術は急速にローマ帝国の公的芸術となった。ローマ市の旧サン・ピエトロ大聖堂(329建立)をはじめとする大聖堂群,あるいは記念堂(ローマ市,サンタ・コスタンツァ,350ころ)は,いずれも5世紀にかけて,壮麗なモザイクによって内部が飾られた。図像も,すでにあった旧・新約聖書の諸場面を対照させた予型論的なものから,〈律法の授与〉のような帝国主義的色彩の強いもの,あるいは長大な説話的シリーズもモザイクで表された(ローマ市,サンタ・マリア・マッジョーレ教会モザイク,430年代)。様式に関しては,325年ころまでは先行する四帝統治(テトラルキア)時代の帝国芸術の伝統が残存していたが,コンスタンティヌス大帝の晩年以降テオドシウス帝(在位379-395)の治世にかけて古代芸術復興の波が幾度となく押し寄せ,キリスト教美術には急速に宮廷的洗練が加わった(ユニウス・バッススの石棺浮彫,360ころ)。また背教者ユリアヌス(在位361-363)の即位などが契機となって,多数の洗練された擬古的作品が作られた(シュンマコス家とニコマコス家の結婚記念象牙二連板,4世紀末)。テオドシウス朝のときから,文化の中心はしだいにローマからコンスタンティノポリスに移り,それとともに本来のキリスト教美術には,新たに神秘主義,観念主義的傾向が強まって,ビザンティン美術の基礎が準備された。すなわち古代的伝統に発する陰影法による三次元の描写は失われ,モティーフは現実的な奥行きを持たぬ黄金地を背景に,神学的,政治的位階に従い上下に配される。当然人間像も肉体性を捨象され,正面性の強い超現実的相貌を帯びる(テッサロニキ,ハギオス・ゲオルギオス教会モザイク,400ころ)。他方ローマを中心とする西地中海世界の美術は,476年西ローマ帝国が滅亡するころには量質ともに低下し,一地方的様式に近づいた(ボエティウスの象牙二連板,487)。ただし,ラベンナのように,東ゴートによる短期間の支配の時期を除いてビザンティンと長く強い連帯を維持した所では,5~6世紀にかけて,ビザンティン的傾向の強い数々の優作を生んだ(王妃ガラ・プラキディアの廟堂モザイク,450ころ)。またこの時期には,《ウェルギリウス・ウァティカヌス》(400ころ),《ミラノのイリアス》(500ころ)のようなみごとな挿絵入りの古代風写本が生まれている。

(3)6世紀以降,東方では,ユスティニアヌス1世の下でビザンティン美術が確固たる形式を獲得した。一方西方では,メロビング朝につづく8世紀末のカロリング・ルネサンスにより,ようやく汎ヨーロッパ的表現様式に到達する。
キリスト教美術
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百科事典マイペディア 「初期キリスト教美術」の意味・わかりやすい解説

初期キリスト教美術【しょきキリストきょうびじゅつ】

キリスト教誕生後,ビザンティン美術,ロマネスク美術に至るまでの間,キリスト教の普及したローマ,ガリア,エジプト,シリア,小アジアなどで盛行した美術。キリスト教を公認したミラノ勅令(313年)以前はカタコンベを中心に展開し,壁画や棺を飾る浮彫に素朴な象徴的表現が多用された。勅令後は地上に教会堂が続々と建てられ,バシリカ式プラン,集中式プラン,両者の結合プランなどが成立(教会堂建築参照)。勅令前後を通じて,古代ローマに見られた丸彫彫刻は姿を消して浮彫が盛んとなり,モザイク絵画も隆盛をみた。

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世界大百科事典(旧版)内の初期キリスト教美術の言及

【イエス・キリスト】より


[キリストとイエス]
 一般にキリストはイエスの別名のように考えられている。実際,新約聖書の中でもパウロの手紙などではキリストとイエスとが区別されていない場合もあるし,古代ローマの歴史家たち(タキトゥスやスエトニウスなど)は,多くの場合キリストを固有名詞と思っていた。しかし,〈キリスト〉は元来普通名詞で,〈油を注がれた者〉を意味していた。具体的に言えば,それは,旧約聖書の時代,イスラエルの預言者たちによって頭に〈油を注がれて王位についた人物〉,すなわち〈王〉を意味するものであった。…

【イタリア美術】より

…したがって,西欧中世美術は,一方で,まずいち早く宗教的図像を決定しこれを厳格に伝承した東方キリスト教・ビザンティンの芸術に強く感化されたが,土台としてのヘレニズム,ゲルマン的ヘレニズムともいうべきカロリング朝文化,またゲルマン,ノルマン,ケルト人などいわゆる蛮族のもつ固有の民族的文化などの複雑な混合体であった。
[初期キリスト教時代]
 自然的形象と象徴的表現の混合は,初期キリスト教美術(4~5世紀ころ)においては,まず,既存のヘレニズム的形体をキリスト教の象徴とみる(例えば,クピドを天使,オルフェウスをキリストとみるなど)象徴主義から,しだいに形象の自然的要素(空間表現,量感,動作など)を脱し去り,これを抽象化(二次的空間と平面的形体,リアリティと自然らしさの消滅,物語性の重視など)する方向へと向かった。たとえば初期バシリカの一つローマのサンタ・マリア・マジョーレ教会の身廊とアルコ・トリオンファーレ(4~5世紀)のモザイクなどがその例である。…

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