ドゥラ=エウロポス(読み)どぅらえうろぽす(英語表記)Dura-Europos

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドゥラ=エウロポス」の意味・わかりやすい解説

ドゥラ=エウロポス
Doura-Eurōpus

シリア東部,シリア砂漠の北辺,ユーフラテス川中流右岸にある古代都市。前300年頃セレウコス朝シリアのセレウコス1世によってマケドニアの守備隊駐屯地として建設され,シリアのアンチオキアとチグリス河畔のセレウキアの間を結ぶ主要道路の軍事拠点とされた。前100年頃パルティア帝国に併合され,シルクロード要衝にある隊商都市として繁栄。165年にトラヤヌス帝によってローマ帝国領に編入され,前線基地とされた。257年頃にササン朝ペルシア軍がこの都市を破壊。遺跡の発掘は 1922~23年にフランツ・キュモン,1928~37年にアメリカ合衆国の M.ロストフツェフによって行なわれた。都市は岩盤台地の上に築かれ,直交する道路によって長方形の住宅区が形づくられた。都市のほぼ中央にアゴラがあり,そのほか小宮殿,ローマの軍事施設,住宅が建てられていた。宗教建築物としては,メソポタミア,シリアの神々の神殿,ミトラス神殿,パルミラ系諸神殿,ユダヤ礼拝堂,キリスト教会があった。これらの宗教建造物の壁画は特に重要である。その他の出土物として,碑文浮彫古銭,公共建造物,私宅,防衛施設などがあり,ギリシア系とセム系の混合した生活文化のうえに,さらにローマ的,イラン的なものが付け加わっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドゥラ=エウロポス」の意味・わかりやすい解説

ドゥラ・エウロポス
どぅらえうろぽす
Dura-Europos

シリア砂漠を流れるユーフラテス川中流域の右岸、約50メートルの高さの小丘にある都市遺跡。現在シリア・アラブ共和国に属し、アル・サーリヒーヤーとよばれる。紀元前280年ごろセレウコス朝の部将ニカノールがマケドニア兵の軍事植民地として建設した。前113年ごろパルティア帝国の支配下に入り、国境要塞(ようさい)として、またメソポタミアからパルミラを経て地中海に至る交易路の中継地として発展した。紀元後165年ローマ軍のペルシア遠征基地となり、256年ごろササン朝のシャープール1世に攻略されて廃墟(はいきょ)となった。1921年イギリスの軍人が偶然発見し、アメリカのエール大学がフランス碑文学会の協力を得て完全に発掘した。遺跡は周壁で囲まれた碁盤目状の整然としたギリシア式都市計画のもとに、取引場、隊商宿、各種店舗、劇場、浴場、城砦(じょうさい)が並び、羊皮文書、武器、ガラス製品、装身具、織物、皮靴などのほか、ユダヤ教会堂、現存する世界最古のキリスト教会堂、ギリシア、ローマ、西アジア諸神の神殿が出土し、住民の人種や宗教の多様性を示している。織物のなかには中国製に似た絹織物がある。パルミラ神殿内で発見された壁画は、ペルシアとギリシアの影響のなかに土着のセム系の性格を表現し、ユダヤ教会堂内で発見された壁画は、キリスト教美術の現存する最古の作品であり、ビザンティン美術の先駆をなすものである。

[小玉新次郎]

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