ヨーロッパのいくつかの国の領土や海外植民地に置かれた、国王代理を務める高位の行政官。15世紀、スペインのアラゴン王国の領地セルダーニャ、シチリアに置かれ、イサベル1世、フェルナンド5世両王のスペイン共治時代になると、そのほかカタールニャ、アラゴン、バレンシア、マジョルカ、ナバラ、ガリシア、ナポリも副王によって治められた。副王は、強大な権限をもって副王領の行政・警察権を握り、また議会を招集することができた。コロンブスも、1492年の航海に先だち副王の称号を与えられたが、16世紀に入りスペイン人によるアメリカ大陸の征服が行われると、メキシコ(別名ヌエバ・エスパニャ、1535)、ペルー(1542)にも副王が任命され、新大陸を二分して広い領域にわたり直接統治した。18世紀に入ると、ヌエバ・グラナダ(1717)、ラ・プラタ(1776)地方も副王領となった。新大陸の副王は、植民地担当地域の行政・軍事の最高責任者として強大な権力を与えられていたが、反面、本国からの巡察、査察等により厳しく監視されていた。
副王制は、スペイン本国では18世紀のフェリペ5世時代にナバラを除いて廃止されたが、アメリカ大陸では19世紀初頭の独立期まで続いた。副王は、ポルトガル領インド(1505)、ブラジル(1720)にも置かれ、英領インドでも、国王の直接統治が始まる1858年以後、それまでのインド総督が副王と称せられるようになった。
[増田義郎]
スペイン語のビレイの訳。スペイン王室下の諸王国において国王の代理として最高責任を持つ行政官。王権の代行者を置くことは,中世末期のアラゴン連合王国のシチリア,セルダニャなどで行われていたが,イサベル,フェルナンドのカトリック両王時代に,アラゴン,ナバラ,ガリシア,ナポリ,シチリアなどに,副王が任命された。アメリカの海外領土が征服されると,初め1535年ヌエバ・エスパニャ(メキシコ),ついで43年ペルーに副王が置かれ,アウディエンシアを統括してそれぞれの地域の統治と防衛に責任を持った。18世紀にペルー副王領は三つに分割され,北アンデス地方のヌエバ・グラナダおよび南のラ・プラタの両副王領が設置された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…最初の総督はウォレン・ヘースティングズである。15代目のキャニングの時に起こったインド大反乱によってインドが会社領から王領に移管されてからは,総督に副王viceroyのタイトルをつけてインドの副王兼総督あるいは総督兼副王と呼ぶことになった。その最初の用例は1858年のビクトリア女王の布告にみられる。…
…オスマン帝国の宗主権下に事実上の独立を達成したエジプトのムハンマド・アリー朝の支配者に与えられた称号。副王などとも訳される。トルコ語ではヘディウhediv。…
…しかし,連邦の絆となったのは共通の王権だけであって,政治的独立や法律あるいは行政制度はまったく従来のままに残された。このために国王が2国のうちのいずれかを不在にするという重大な政治問題が惹起され,解決策として出てきたのが副王virreyの任命だった。 副王の祖型はアルフォンソ2世が1178年,当時彼の版図に入っていた南仏プロバンス公国の統治を任せた王弟ラモン・ベレンゲールの例に見ることができる。…
…この点が,自営農民や商人が主体となって白人社会をつくり,先住民の存在を排除したアメリカ合衆国の場合とまったく事情が違っていた。スペイン王室は,副王(副王制)やその他の行政官を送ってアメリカの植民地を統制し,しばしば現地の征服者,植民者との間に軋轢(あつれき)を起こしたが,本国の絶対主義的体制は植民地における民主主義的体制の成立に強い牽制を加えた。これは,国王が総督を送って統治させながらも,本国における自由主義思想や議会制度の発展の強い影響のもとに植民地における自治組織や権利意識の発達がうながされたイギリス領アメリカの場合とまったく対蹠(たいしよ)的である。…
※「副王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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