旧イギリス領インドで最高の統治権限を有した官職。イギリス東インド会社がその所領を拡大しつつあったインドに総督の職が創設されたのは1774年,プラッシーの戦の17年後である。最初は〈ベンガルのフォート・ウィリアム総督Governor-General of Fort William in Bengal〉と呼んだ。1834年からはインド総督となり,一時はベンガル州の知事を兼任した。最初の総督はウォレン・ヘースティングズである。15代目のキャニングの時に起こったインド大反乱によってインドが会社領から王領に移管されてからは,総督に副王viceroyのタイトルをつけてインドの副王兼総督あるいは総督兼副王と呼ぶことになった。その最初の用例は1858年のビクトリア女王の布告にみられる。副王とは国王の代理人の意味で,総督が王領移管後はイギリス領インドだけでなく藩王諸国をも東インド会社からひきついで管轄することになったのに対応する。もっとも単に副王とのみ呼ぶことがむしろ普通であった。移管後に任命された者の数は19世紀にキャニング以下カーゾンまで11人,20世紀に9人である。ヘースティングズの時から総督はイギリス国王が任命するもので,その任期は通常5年であった。閣僚や議員などの経験者が任命されることが多く,軍人,インド文官職(ICS)がなることは非常にまれであった。以前にインドとかかわりを持った者が任命されたこともあまりなく,インド大臣経験者を総督に任命したり,総督経験者をインド大臣に任命することは避けるという不文律もあった。約170年の間にその曾祖父についで総督となった者,祖父についでなった者,父についでなった者が,それぞれ1人ずついる。イギリスの支配階級の閉鎖性を物語るものであろう。
総督はインドにおける最高の官職で,インド大臣を通じてイギリス政府の指示を受けインド統治に当たった。彼を補佐するのは内閣に当たる行政参事会Executive Councilと武力を統轄するインド軍総司令官Commander-in-Chief Indiaである。重要な改革のたびに立法機関の権限が拡大されはしたが,独立までは専制君主に近い存在であった。独立によってインドでは最後のイギリス人総督マウントバッテンおよび最初にして最後のインド人総督となったラージャゴーパーラーチャーリアは名目上の元首となり,1950年の共和国憲法により総督が廃止された。パキスタンでは総督が56年まで存在しその権限は強大であった。
執筆者:山口 博一
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16世紀初めより,ポルトガルなども,インド方面の勢力を統轄すべき官職を設けてインド総督と称したが,史上重要なのは,イギリス領植民地インドを統治するため,インドに置かれた最高官としてのインド総督である。法的にはイギリス議会で制定されたインド統治法によって設けられた官職。1773年の「ノースの規制法」によりベンガル総督がベンガル以外のイギリス領インド諸地域に対する上級監督権を持つものと定められたのが,その前身。1833年の「特許状法」により,インド総督の官職が設けられ,「参事会」の補佐を受けつつ全インド植民地を統轄することとなる。58年の東インド会社解散後は「副王」とも呼ばれるようになり,イギリス国王の代理として統治にあたるものとされた。47年のインド独立後も,インドとパキスタンの憲法制定までは,権限は変わりながら形式上は残っていた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
イギリス統治下のインドの最高官職。東インド会社諸商館の管区長(知事)の職から発展したもので、1773年の規制法でベンガル総督が置かれ、1833年の特許法でインド総督と改称された。1858年にインドが国王直轄植民地となると、総督はインド副王を兼ね、総督としてイギリス領インドを統治し、副王として藩王諸国を統制した。1935年の統治法で、副王は国王代表と改称された。総督の下には参事会が置かれ「参事会における総督」にイギリス領インドの行政、司法、統帥の全権が集中された。1774~1947年の間のベンガル総督およびインド総督は33人を数えた。インド、パキスタンの独立(1947)後も、大統領制施行まではそれぞれに総督の職が存置された。
[高畠 稔]
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…彼らはだいたいが長い経験をつんだベテラン政治家で,就任までとくにインドと関係をもっていたのではない。彼らがなんらかの政策を実施しようとする場合に問題となるのは,一方で首相や議会の支持をえられるかどうかであり,他方でインド政府,とくにその長であるインド総督との調整をいかに行うかということであった。多くの摩擦や衝突が起こっているが,だいたいはイギリスのインド統治にまつわるエピソードにすぎない。…
…その後イギリスの領土拡張の時代になったが,インドはイギリス帝国の中で常に一つの独自な構成部分とみなされ,自治領や他の植民地とは区別されていた。イギリスはインドをインド大臣からインド総督へというラインを通じて統治したが,インドにおける中央政府の性格は,独立前年の1946年の暫定政府の誕生までは専制的というに近いものであった。1869年にスエズ運河が開通してからは,イギリスはスエズを通るインドへの交通路を他の列強から確保するためエジプトをはじめとする周辺地域の征服に力を入れた。…
※「印度総督」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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