加藤道夫(読み)カトウミチオ

デジタル大辞泉 「加藤道夫」の意味・読み・例文・類語

かとう‐みちお〔‐みちを〕【加藤道夫】

[1918~1953]劇作家福岡の生まれ。文学座に入り、劇作演出に当たったが、自殺戯曲なよたけ」「思ひ出を売る男」など。

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精選版 日本国語大辞典 「加藤道夫」の意味・読み・例文・類語

かとう‐みちお【加藤道夫】

  1. 劇作家。福岡県出身。慶応義塾大学卒。文学座に参加ジロドゥーに傾倒し、「なよたけ」や「思ひ出を売る男」「襤褸(ぼろ)宝石」などを発表したが、のち自殺。大正七~昭和二八年(一九一八‐五三

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20世紀日本人名事典 「加藤道夫」の解説

加藤 道夫
カトウ ミチオ

昭和期の劇作家



生年
大正7(1918)年10月17日

没年
昭和28(1953)年12月22日

出生地
福岡県遠賀郡戸畑

学歴〔年〕
慶応義塾大学英文科〔昭和17年〕卒

主な受賞名〔年〕
水上滝太郎賞(第1回)〔昭和23年〕「なよたけ」

経歴
3歳の時東京に転居。慶大予科に入り芥川比呂志、梅田晴夫らと知り合い、英語劇の舞台に立つ。大学英文科に進み、芥川らと研究劇団・新演劇研究会を結成し、劇作、戯曲翻訳も始める。昭和18年陸軍省通訳任官。同年秋戯曲「なよたけ」脱稿後従軍、ニューギニアでマラリアに罹り九死に一生を得て21年復員。22年長岡輝子、芥川らと麦の会を結成。23年「なよたけ」で第1回水上滝太郎賞受賞。24年文学座に入り劇作のほか演出も行う。戯曲「思ひ出を売る男」「襤褸と宝石」、児童劇「あまのじゃく」などの他、翻訳や評論も発表し、詩的美しさを持つ新進劇作家と期待されたが、自殺した。「加藤道夫全集」(全2巻 青土社)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「加藤道夫」の意味・わかりやすい解説

加藤道夫 (かとうみちお)
生没年:1918-53(大正7-昭和28)

劇作家。福岡県生れ。東京府立五中を経て,1937年慶大に入学,本科に進学するとともに,学生劇団の新演劇研究会を結成。能に興味をもち,折口信夫とJ.ジロードゥーから深い影響をうけ,42年卒業。大学院に入り,翌年から1年を費やして処女戯曲《なよたけ》を執筆した後,陸軍省通訳官として,ニューギニアに赴任。敗戦後帰国し,慶大,明大講師を務めながら,独自な文体による戯曲を発表した。《竹取物語》を書くことによって生きる道を発見する詩人の誕生を描いた《なよたけ》(1946発表)をはじめ,従軍中の体験をもとにした《挿話(エピソオド)》(1948),戦後の純愛を描いた《襤褸(ぼろ)と宝石》(1952)が注目された。翻訳では,カミュ《誤解,カリギュラ》(1951),評論では《ジャン・ジロウドウの世界》(1953)などがあり,木下順二とともに戦後演劇に新風をもたらした。それだけに自宅での縊死は,衝撃を与えた。《加藤道夫全集》がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤道夫」の意味・わかりやすい解説

加藤道夫
かとうみちお
(1918―1953)

劇作家。福岡県に生まれる。慶応義塾大学英文科在学中から芥川比呂志(あくたがわひろし)らと演劇活動に従事。同大学院在籍中に処女戯曲『なよたけ』を書き始め、1944年(昭和19)応召直前に友人に託した。第二次世界大戦後は母校と明治大学講師のかたわら芥川らと劇団麦の会を結成、『挿話――エピソオド』(1948)発表後文学座に入り、『思ひ出を売る男』(1951)、『襤褸(ぼろ)と宝石』(1952)、『祖国喪失』(1952)などの戯曲を発表するほか、評論、演出、翻訳にも活躍した。昭和28年12月22日自殺。その純粋な演劇理念は劇団四季創立の精神的支柱ともなった。

[大島 勉]

『『加藤道夫全集』全二巻(1983・青土社)』

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百科事典マイペディア 「加藤道夫」の意味・わかりやすい解説

加藤道夫【かとうみちお】

劇作家。福岡県生れ。慶応大学卒業。折口信夫とJ.ジロドゥーに深い影響を受ける。陸軍省通訳官となる一方,処女戯曲《なよたけ》を執筆,その後ニューギニアへ赴任。敗戦後,滝浪治子(女優加藤治子)と結婚,芥川比呂志,長岡輝子,荒木道子らとともに文学座に入り,《挿話(エピソオド)》《襤褸(ぼろ)と宝石》《天国泥棒》などの戯曲を発表。ジャン・ジロードゥーについての評論やカミュの翻訳もある。自殺。《加藤道夫全集》2巻。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加藤道夫」の意味・わかりやすい解説

加藤道夫
かとうみちお

[生]1918.10.17. 福岡,戸畑
[没]1953.12.22. 東京
劇作家。慶應義塾大学英文科在学中「新演劇研究会」を結成,劇作と戯曲翻訳を始め,1942年大学院へ進んだ。陸軍通訳官となった第2次世界大戦戦時下の 44年に代表作『なよたけ』5幕9場を脱稿した。戦後は女優加藤治子と結婚 (1946) ,文学座座員のかたわら慶應義塾大学講師をつとめ,『挿話』 (48) ,『襤褸と宝石』 (52初演) などを書いたが,強度の神経衰弱から自殺をとげた。 J.ジロドゥに傾倒し,自然主義的リアリズムを否定した特異な劇詩人であった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤道夫」の解説

加藤道夫 かとう-みちお

1918-1953 昭和時代の劇作家。
大正7年10月17日生まれ。戯曲「なよたけ」で昭和23年第1回水上滝太郎賞を受賞し,新進劇作家として登場。芥川比呂志(あくたがわ-ひろし)らと劇団麦の会を結成,のち文学座で活躍。わかい世代におおきな影響をあたえたが,昭和28年12月22日自殺。35歳。福岡県出身。慶大卒。作品に「挿話(エピソード)」「思ひ出を売る男」。
【格言など】恋とは唯一つの魂を烈しくもひそかに呼び合うことだ(「なよたけ」)

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367日誕生日大事典 「加藤道夫」の解説

加藤 道夫 (かとう みちお)

生年月日:1918年10月17日
昭和時代の劇作家
1953年没

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世界大百科事典(旧版)内の加藤道夫の言及

【新劇】より

… 弾圧は免れたものの,45年春以降は疎開を余儀なくされていた文学座は,森本薫作・杉村春子主演《女の一生》で戦後をスタートし,47年には戦前の伝統を継承しつつ〈フランス演劇研究会〉を発足させる。49年には,長岡輝子,芥川比呂志(1920‐81),加藤道夫らもこれに加入して,文学座のみならず新劇界に新風を吹き込むこととなった。フランス演劇研究会ではサルトル,アヌイなど戦後フランスの実存主義的演劇を初演するとともに,東京信濃町の同座稽古場を利用して〈新しき演劇の実験室〉としての〈アトリエ公演〉活動を展開した。…

【なよたけ】より

…5幕9場。加藤道夫作。1946年5月から10月の《三田文学》に連載発表。…

※「加藤道夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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