日本大百科全書(ニッポニカ) 「劇的アイロニー」の意味・わかりやすい解説
劇的アイロニー
げきてきあいろにー
dramatic irony
悲劇的アイロニーの概念を拡大して、悲劇に限定することなく一般化したもの。劇中人物が自らの状況のなかにいて知らずにいることを、観客が知っていて、劇中人物という当事者の無知を目のあたりにする効果をいう。たとえば、自らが犯人であることを知らずに、殺人犯の探索に乗り出すオイディプス王について、観客の感ずる効果がそれである。そのとき観客は、無知な人間が己の力を誇り、傲(おご)り高ぶっていながら、実は運命の手にもてあそばれている者であることを、オイディプス王の一つ一つのことばのなかに直観する。この事実に初めて注目したのは、19世紀初頭のイギリスの文人サールウォールBishop Connop Thirlwallであり、彼はこれを「ソフォクレスのアイロニーOn the Irony of Sophocles」(1832~33)として論じた。ドイツロマン派と交流のあったサールウォールは、浪漫(ろうまん)的イロニーの概念を踏まえて、人間の目に見える現象と目に見えない真の現実との間の対立が、ソフォクレスの悲劇のなかに仕組まれていることを指摘し、悲劇的アイロニーという名称をそこに与えた。内容的にみれば、それは運命のアイロニー(運命の皮肉)とよばれるが、演劇固有の構造に立脚するものであることを見過ごしてはならない。超越的な運命の力と悲劇の主人公の無知との間の対照を直観するには、劇世界を外から見ている観客の異次元の目が不可欠なのである。演劇の構造に立脚するものである以上、劇的アイロニーは、悲劇的なものだけでなく、喜劇的なものについても認められる。喜劇の場合には、ただひとり無知な状態に置かれた人物の生み出すおかしさがその効果である。この場合にも、劇世界を外から見ている観客が、この劇的状況にアイロニーを認めるのである。
[佐々木健一]
『佐々木健一著『せりふの構造』(1982・筑摩書房)』