劉基(読み)りゅうき(その他表記)Liú Jī

改訂新版 世界大百科事典 「劉基」の意味・わかりやすい解説

劉基 (りゅうき)
Liú Jī
生没年:1311-75

中国,元末・明初の学者,政治家。字は伯温。青田浙江省)の人。元末進士に合格し,江西・浙江両省で地方官となり,その方面の反乱鎮定に功をたてた。やがて金陵(南京)に走って朱元璋(明の洪武帝)にまみえ,時務18事をのべてから認められ,その天下統一の業を助けて軍機に参画し,陳友諒(ちんゆうりよう)・張士誠平定功績があった。明朝成立後も種々重要な政治上の助言を行って大典制度の起草に任じ,太史令から弘文館学士にすすみ誠意伯に封ぜられ,開国期の文臣として宋濂(そうれん)と併称される。洪武帝の信任はきわめて厚かったが,丞相の李善長,胡惟庸らとの間は円満を欠き,対立抗争した結果,彼らからそしりをうけた。1371年(洪武4)退官し,数年後に病没。その性は雄邁廉直で奇気あり,この間しばしば官をやめて隠棲し学問を修めた。天文・兵法・数理などに精通し,文は宋濂と比肩し,詩は高啓に匹敵するといわれる。《誠意伯文集》20巻がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「劉基」の意味・わかりやすい解説

劉基
りゅうき
Liu Ji

[生]至大4(1311)
[没]洪武8(1375)
中国,元末明初の文学者,政治家。青田 (浙江省) の人。字,伯温。至順4 (1333) 年進士に及第,初め元に仕えたが,のち朱元璋 (のちの洪武帝) のもとに投じ,明の建国に大きな功績をあげた。明初,多くの粛清が行われたなかで,一貫して洪武帝の厚い信任を受け,誠意伯の号をもらった。のち丞相の李善長胡惟庸らと合わず,洪武4 (71) 年辞職して故郷に帰り,そこで没した。胡惟庸に毒殺されたともいう。博学で天文,数学などにも詳しく,詩文にすぐれ,文は宋濂 (そうれん) に次ぎ,詩は高啓に次ぐといわれた。著書『郁離子』『春秋明経』など。詩文とともに『誠意伯劉文成公文集』 (20巻) に収める。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉基」の意味・わかりやすい解説

劉基
りゅうき
(1311―1375)

中国、元(げん)末明(みん)初の学者、明朝開国の功臣。青田(浙江(せっこう)省)の人。字(あざな)は伯温。1333年の進士。初め元の地方官として治績をあげたが、のち朱元璋(しゅげんしょう)(明の太祖)に招かれ、謀臣として天下統一の事業を助けた。明朝成立後も宋濂(そうれん)とともに、制度、文物を整えるのに重要な役割を果たし、誠意(せいい)伯に封じられた。天文、兵法、数理に通じ、詩文にも優れ太祖の信任も厚かったが、胡惟庸(こいよう)に毒殺されたともいう。

[谷口規矩雄]

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