中国,元末・明初の詩人。字は季迪(きてき),青邱,青邱子と号する。蘇州の人。数回の浙江地方への旅行と,一時期に南京の明王朝政府の官吏となったほかは,終身,蘇州の市内および近郊で一市民としてすごした。生涯の大部分は,蘇州を本拠として明と抗争した張士誠政権のもとにあり,明の太祖が独裁支配を確立するために起こした大テロルの犠牲となって殺された。短い生涯に,2000首以上の詩を残し,明代第一の詩人とされる。詩は,明るさ,知性,哀愁,幻想性など多様な側面をそなえた豊饒さを特徴とし,王朝体制崩壊の間隙に芽ばえた,江南地方の都市住民の市民的自由の中で花咲き,それゆえに専制的な皇帝権力により圧殺されたのである。日本では江戸後期に作詩の手本として流行し,数種の本が刊行された。代表作《青邱子歌》は森鷗外による雅文訳があり,明治以後,その近代性が注目されている。
執筆者:入谷 仙介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、明(みん)初の詩人。字(あざな)は季廸(きてき)、号は青邱(せいきゅう)。蘇州(そしゅう)(江蘇省)の人。王行、徐賁(じょひ)ら北郭(ほくかく)十友と交わって早熟の詩才を誇り、在野の詩人として、当時の文化の中心蘇州で、目覚ましい活躍を示した。のち太祖に憎まれ、わずか38歳で刑死した。明でもっとも才能に恵まれた詩人で、あらゆる対象を2000首の詩に歌った。各時代の長所をよく消化して、詩意は平明、表現は淡泊あるいは華麗であるが、独自の風格を示すに至っていない。日本でも江戸時代以来、多くの愛読者をもつ。著に『高太史大全集』があり、清(しん)の金檀(きんだん)が注を施す。なお高啓は、楊基(ようき)、張羽、徐賁とともに、初唐四傑になぞらえて呉中四傑と称されたが、前者と同じく、この4人もみな不幸な死の運命を共有する。伝は『明史』文苑(ぶんえん)伝1に記される。
[福本雅一]
『入谷仙介注『中国詩人選集2集10 高啓』(1962・岩波書店)』▽『蒲池歓一著『漢詩大系21 高青邱』(1966・集英社)』
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