日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤典洋」の意味・わかりやすい解説
加藤典洋
かとうのりひろ
(1948―2019)
文芸評論家。山形市生まれ。現代日本文学専攻。現代風俗研究会会員。1972年(昭和47)東京大学文学部仏文科卒業後、国立国会図書館に勤務する。1978年、同図書館から派遣されてカナダへ渡る。モントリオール大学の東アジア研究所図書館を拡充するため3年半にわたって滞在するが、これが評論活動へ入る転機となった。「78年から82年にかけ、カナダにいた時、そこからみた日本が白く漆喰(しっくい)で塗られた墓、ならぬ映画館のように見えたことを思いだす」(『アメリカの影』あとがき)。カナダでは鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)の英語による授業を聴講する。
1982年、『早稲田文学』8、9、10月号に「アメリカの影――高度成長期の文学」前・中・下を発表。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』(1976)および田中康夫による『なんとなく、クリスタル』(1981)をめぐる日本の知識人の反応を足がかりに、独自の視点から「戦後日本とアメリカ」の関係の問い直しを試みる。1985年、同論を含めた第一評論集『アメリカの影』を刊行。若手の評論家として注目を浴びる。1986年明治学院大学国際学部助教授、1990年(平成2)同教授に就任。1994年に刊行された『日本という身体』においては、『中央公論総目次』(1978)に頻出する単語が、時代によって「大」「新」「高」のいずれかに分類される、という発見から、解釈学的ともいえる独自の歴史観が披露されている。1996年よりパリの哲学国際学院で在外研究。
1995年『群像』1月号に「敗戦後論」を発表。他国の戦死者に対する哀悼よりもまず自国の戦死者への哀悼を優先すべし、という挑戦的な提案をめぐって、社会思想研究家高橋哲哉(1956― )その他の知識人との論争が展開される。それらの論争はパリ滞在中にまとめられ、1997年に『敗戦後論』(伊藤整文学賞)として出版される。その他の著書としては『批評へ』(1987)、『日本風景論』『ゆるやかな速度』(1990)、『ホーロー質』(1991)、『言語表現法講義』(1996。新潮学芸賞)などがあげられる。
[池田雄一]
『『批評へ』(1987・弓立社)』▽『『ゆるやかな速度』(1990・中央公論社)』▽『『ホーロー質』(1991・河出書房新社)』▽『『日本という身体』(1994・講談社)』▽『『言語表現法講義』(1996・岩波書店)』▽『『敗戦後論』(1997・講談社)』▽『『アメリカの影』(講談社学術文庫)』▽『『日本風景論』(講談社文芸文庫)』