日本大百科全書(ニッポニカ) 「労働力流動化政策」の意味・わかりやすい解説
労働力流動化政策
ろうどうりょくりゅうどうかせいさく
労働力の産業間・地域間および雇用形態間の移動を促す政策をさす。歴史的には、石炭産業「合理化」による離職者対策の経験を出発点にする。1960年(昭和35)には広域職業紹介が導入され、労働力の農村から都市への流動を中心とする全国的な流動化を呼び起こす手段とされた。これには、全国的、全産業的な労働力の需給状況や失業発生状況の把握が必要なため、労働市場センター(労働省職業安定局労働市場センター業務室の略称、2001年より厚生労働省の管轄)が1964年に設置され、労働力の流動化を一元的に管理できるようにした。また、この前年には、緊急失業対策法の改正により失業対策事業の打ち切りに手がつけられ、農業や中小企業の「近代化」によって労働力が流出し雇用が促された。
労働力の流動化は、1990年代中葉以降になると雇用の流動化として現れる。農業をはじめとする第一次産業が衰退し、労働力の供給源としての機能を失いつつあるとともに、企業が競争力を引き上げるために過剰雇用の処理と雇用形態の多様化に乗り出したからである。雇用の流動化を進めるにあたっては、国際競争が激しくなるなかで、日本の労働市場は全般的に労働費用を高くし、労働者の移動を妨げていると経営者団体などからの批判の対象になる。この議論を受けて、2001年(平成13)以降は確定給付年金から確定拠出年金制度への転換が可能になるとともに、1999年(平成11)には法律の改正に伴い、民間職業紹介と人材派遣が原則的に自由化された。しかしその結果は、パートタイムや人材派遣などの非正規雇用の増加、とくに25歳以下の年齢階層における正規雇用の減少と非正規雇用の増加であった。加えて、前の仕事よりも所得の減った転職者の増加である。このように雇用の流動化が負の効果を伴うことから、これを是正する動きもある。派遣労働者の大量雇止めなどを受けて見直しが進められてきた2008年の人材派遣法の改正と、これに伴う登録型派遣の原則禁止などは、その例である。
[三富紀敬]
『三好正巳編著『現代日本の労働政策』(1985・青木書店)』▽『加藤佑治・内山昂監修、労働運動総合研究所編『規制緩和と雇用・失業問題』(1997・新日本出版社)』