日本大百科全書(ニッポニカ) 「失業対策事業」の意味・わかりやすい解説
失業対策事業
しつぎょうたいさくじぎょう
広義には失業者の長期かつ大量の滞留に対処して国あるいは地方自治体の行う失業者救済事業をさすが、狭義には緊急失業対策法(昭和24年法律第89号)に基づく失業対策事業をいう。
日本では、1925年(大正14)に六大都市で行われたのが最初といわれる。第二次世界大戦直後の1946年(昭和21)には知識階級失業応急救済事業が始められ、ついで公共事業の一環として失業応急事業が開始された。1949年には、ドッジ・ラインの実施に伴う民間企業および官公庁の大量の人員整理に直面して緊急失業対策法が制定され、ここに公共事業とは別個の体系をなす失業対策事業が実施されるに至った。これにより就労者数は、1955年の31万人から増加し続け、1960年には35万人に達した。
その後、1963年に行われた緊急失業対策法の改正により、失業者就労事業と高齢失業者等就労事業とに二分され、失業者に対する民間企業への就職指導と相まって、縮小の方向が打ち出された。さらに、1971年の中高年齢者雇用促進法(「中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法」昭和46年法律第68号)の制定により、同法の施行後新たに発生する失業者については、失業対策事業に就労できないこととされた。就労者数は、これらの措置によって年々減少し、1975年に約12万人、1979年には約10万人にまで落ち込んだ。1981年には、事業の「終息」を図るために一時金の支給による就労者の追い出しが組織され、これによって約2万人が失業対策事業を去ったといわれる。
その後、緊急失業対策法を廃止する法律が1996年(平成8)4月に施行され、これにより失業対策事業は終息する。なお、これまでの経緯や就労の実情などを考えて、事業の終息時65歳未満の就労者を対象にして、屋外作業や除草などの軽作業を内容にする事業が、いくつかの自治体を事業主体にして行われた。
[三富紀敬]
国による失業対策事業は以上のようにして終了したが、2000年(平成12)前後の失業情勢が深刻化した不況時には、失業対策事業に代わるものとして1999年に緊急地域雇用創出特別交付金制度を導入し2005年度まで実施した。同制度は国から自治体に資金を提供し、自治体はその資金を利用して、失業者を最長半年間雇用する事業を実施する、というものである。また2008年に始まる世界同時不況に際しては、国は緊急雇用創出事業を開始したが、この事業も、国が地方自治体に資金を提供し、自治体はその資金を利用して主として失業者が最長半年間雇用される雇用機会を創出する、というものである。
[笹島芳雄]
『石田忠・小川喜一編『社会政策』(1978・青林書院新社)』▽『労働新聞社編・刊『改正雇用対策法の実務解説』(2008)』▽『厚生労働省編『厚生労働白書』各年版(ぎょうせい)』