日本歴史地名大系 「勝願寺」の解説
勝願寺
しようがんじ
勝願寺
しようがんじ
とあり、永禄二年(一五五九)の簗田晴助寄進状写によれば五貫文の寺領を寄進されている。
勝願寺
しようがんじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
とあり、永禄二年(一五五九)の簗田晴助寄進状写によれば五貫文の寺領を寄進されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。かくして成立した十八檀林は,開山の年代順に相模鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺(埼玉県鴻巣市),常陸瓜連常福寺(茨城県那珂郡瓜連町),江戸芝増上寺,下総飯沼弘経寺(茨城県水海道市),下総小金東漸寺(千葉県松戸市),上総生実(おゆみ)大巌寺(千葉市),武蔵川越蓮馨寺(埼玉県川越市),武蔵滝山大善寺(東京都八王子市),武蔵岩槻浄国寺(埼玉県岩槻市),常陸江戸崎大念寺(茨城県稲敷郡江戸崎町),上野館林善導寺(群馬県館林市),下総結城弘経寺(茨城県結城市),江戸本所霊山(りようぜん)寺(東京都墨田区),江戸下谷幡随院(東京都小金井市,もと台東区浅草神吉町),江戸小石川伝通院,上野新田大光院(群馬県太田市),江戸深川霊巌寺(東京都江東区)である。学問所としての檀林はやがて幕府の寺院統制下で行政の一端をにない,一,二の変動はあったが宗教行政の中心となった。…
…赤見台団地の住民の通勤・通学者が増えたため,1977年北鴻巣駅が開業した。駅南方の名刹(めいさつ)勝願寺は関東十八檀林の一つで,境内には関東郡代伊奈忠次,《武蔵志》の著者福島東雄,俳人横田柳几(りゆうき)の墓がある。【新井 寿郎】
[鴻巣宿]
中山道,武蔵国の宿駅。…
※「勝願寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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