勢州阿漕浦(読み)せいしゅうあこぎがうら

改訂新版 世界大百科事典 「勢州阿漕浦」の意味・わかりやすい解説

勢州阿漕浦 (せいしゅうあこぎがうら)

人形浄瑠璃。時代物。1段(2場-阿漕浦,平次住家)。1741年(寛保1)9月大坂豊竹座初演の《田村麿鈴鹿合戦》四段目を独立させ改名した作。従来,改名・上演時期を1808年(文化5)正月大坂御霊境内芝居での上演とするが,早く1798年(寛政10)正月江戸土佐座で建てた狂言《祇園祭礼信仰記》の付け物として本作(雛太夫,綱太夫,吉兵衛)を上演。歌舞伎では《生州阿漕浦》として1830年(天保1)11月に京都の北側芝居で上演。次郎蔵を3世中村歌右衛門,平次を2世嵐璃寛,平次母を7世片岡仁左衛門。《田村麿鈴鹿合戦》の作者は浅田一鳥,豊田正蔵であるが,この四段目の作者も同一か。題材は〈逢ふ事も阿漕が浦に引く網もかず重ならば人も知りなむ〉(《古今六帖》)に禁漁伝説をからませた謡曲阿漕》が古浄瑠璃《あこぎの平次》となり,この系統から本作となる。母の病気に戴帽魚(たいほうぎよ)が効くと聞いた平次は禁漁の阿漕浦に網を入れ,宝剣を手に入れるが,巡検役人に見つかる。その罪を平次の家来筋の平瓦次郎蔵が身替りになる。《田村麿鈴鹿合戦》初演時の絵尽は越前少掾などの語る〈平次住家〉を〈此所のうれい近年の大出来大当り〉と評したが,現在まで舞台生命を保っている。やがて来る舞台技巧全盛時代への転換をいち早く示したものとして,本作の人形浄瑠璃史上の意義は深い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勢州阿漕浦」の意味・わかりやすい解説

勢州阿漕浦
せいしゅうあこぎがうら

浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。一段。通称「阿漕(あこぎ)の平次」。浅田一鳥・豊田正蔵作。1741年(寛保1)9月大坂・豊竹(とよたけ)座初演の『田村麿鈴鹿合戦(たむらまろすずかかっせん)』の四段目を独立させ改題した作。1798年(寛政10)1月江戸・土佐座が初演という。原作は題名どおり、坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)が逆臣藤原千方(ちかた)を討伐した鈴鹿合戦の史譚(したん)を背景に、三種の神器をめぐる葛藤(かっとう)を描いたもので、この四段目は『古今和歌六帖(じょう)』の「逢(あ)ふことをあこぎが島に曳(ひ)く網の……」の歌に禁漁伝説を絡ませた謡曲『阿漕』に取材し、古浄瑠璃『あこぎの平次』を母胎とした作。田村麿の近侍桂(かつら)平次は漁師に身をやつすうち、母の病気に戴帽魚(たいほうぎょ)が効くと聞き、殺生禁断の阿漕浦に網を入れ、宝剣を手に入れる。平次を脅(おど)す無頼漢平瓦(ひらがわら)の次郎蔵は実は桂の家来筋とわかり、禁を破った罪をかぶって縄にかかるという筋。歌舞伎(かぶき)には1830年(文政13)11月に移され、現代でもまれに上演される。

[松井俊諭]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「勢州阿漕浦」の解説

勢州阿漕浦
せいしゅう あこぎがうら

歌舞伎・浄瑠璃の外題
作者
浅田一鳥 ほか
補作者
並木五瓶(3代) ほか
初演
宝暦13.11(大坂・亀谷座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

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