日本大百科全書(ニッポニカ) 「化学繊維工業」の意味・わかりやすい解説
化学繊維工業
かがくせんいこうぎょう
化学繊維工業には、木綿リンター(綿花の短繊維)や木材パルプを原料とするセルロース系化学繊維工業と、石油を原料とする合成繊維工業とがあり、天然の糸状高分子または合成高分子を繊維状にすることが工程の中心である。したがって、化学工業的性格と繊維工業的性格をあわせもっているのが大きな特色である。
この工業は、人絹、スフ(ステープルファイバー)、アセテートなどのセルロース系化学繊維によって開始されたが、世界的にも、日本においても、石油化学工業の発展とともに、合成繊維の製造が中心をなすに至った。合成繊維工業では、原料高分子物質をつくるために高度な技術、巨大な装置・設備、大きな資本が必要であり、生産は金融資本を背景にした大資本によって寡占的に行われている。
日本の化学繊維工業は第一次世界大戦のさなかにおこった。1915年(大正4)に新興財閥の鈴木商店が東(あずま)レザー株式会社人造絹糸製造所(1918年帝国人造絹糸になる)を発足させ、その後、日本窒素肥料(現、チッソ)も旭絹織(あさひけんしょく)(現、旭化成)を設立して再生セルロース繊維キュプラ(商品名「ベンベルグ」)の製造に着手した。1926年には、東洋レーヨン(現、東レ)、倉敷絹織(1949年倉敷レイヨンになる)、日本レイヨン(現、ユニチカ)、昭和レーヨン(現、東洋紡)が工場を設立し、日本の人絹生産は、1932年(昭和7)にはアメリカに次いで世界第2位に、また1937年には第1位になる驚異的な成長を遂げた。
このころ欧米では有機合成化学の研究が進み、1938年にはアメリカのデュポン社によってナイロンの工業化が開始された。このニュースに刺激されて、日本でも京都大学桜田研究室でビニロン、東洋レーヨンでナイロン、東京工業大学星野研究室でポリウレタン系合成繊維の研究が行われ、一定の成果をあげたが、戦争の激化とともに工業的には発展しなかった。
第二次世界大戦後、人絹、スフ工業は化学工業の再建の重要な一翼となったが、やがて合成繊維が本格的に登場し、化学繊維工業は石油化学工業の一部に組み込まれるようになった。
1950年(昭和25)に、戦前からの研究を受け継いで東洋レーヨンがナイロンを企業化し、倉敷レイヨン(現、クラレ)がビニロンを企業化した。昭和30年代に入り石油化学工業の勃興(ぼっこう)とともに東洋レーヨン、帝人(帝国人造絹糸が改称)がポリエステル繊維を、日本エクスラン工業、旭化成などがアクリル繊維を、技術導入を基に企業化し、これら合成繊維はその後新企業の参入もあって急激に生産の増加を遂げた。そして、生産過剰、企業の系列化・再編成を経ながらも1973年には合成繊維は全繊維生産の半分を占め、またアメリカに次いで世界第2位の生産高をあげるに至った。日本の繊維工業の大幅な化学化は、繊維資本が中心になっていることが大きな特徴である。欧米ではこの逆であって、化学資本が合成繊維を開発し、生産している。日本の繊維資本の、第二次世界大戦前からの研究の蓄積、技術や資金での有利な立場が、合成繊維工業において、繊維資本が化学資本を凌駕(りょうが)した要因であるといわれている。
1970年代にはその後大きく発展した新素材や新繊維製品の登場がみられた。その一つが炭素繊維である。1971年に東レがポリアクリロニトリル(PAN)系の「トレカ」の生産を、1975年に東邦レーヨン(現、東邦テナックス)が同系の「ベスファイト」(その後、帝人に受け継がれる)の量産を開始した。炭素繊維は、軽量、高強度、耐熱性に優れるなど高機能素材であり、従来の、繊維は衣服材料というイメージを大きく脱し、「トレカ」がボーイング社のボーイング777の構造材に採用される(1990年)など、航空宇宙、スポーツ用品、土木建築、一般工業用などに幅広く利用されるようになっていく。その結果、炭素繊維の生産額は急伸長を遂げ、東レは世界最大のPAN系炭素繊維生産会社となる。炭素繊維のほか、人工皮革や不織布の出現もあった。クラレの「クラリーノ」、東レの「エクセーヌ」、帝人の「コードレ」、旭化成の「ラムース」などの人工皮革はポリエステルなどの超極細繊維を用いてつくられた。人工皮革は衣料としてだけでなく、インテリア、靴、自動車、スポーツ用品などに応用範囲を広げ、また不織布もフィルター、医療用品、エレクトロニクスなどに用途が広がっていった。
1980年代、1990年代のエレクトロニクスを中心とした高度技術の展開とともに、繊維メーカーは製品の多角化を推進し、衣服用の繊維素材の量産拠点から、高度技術分野からの需要に対応し、高機能素材を多面的に提供する総合エンジニアリング企業への転換を進めていった。21世紀を展望するなかで、これらの企業は繊維、樹脂、化成品、医療用機器、情報関連機材、機械エンジニアリング、諸機能材料、環境関連機器、研究開発等の諸部門を総合的に運営する企業へと変貌を遂げている。また、環境問題が深刻化するなかで新たに生分解性繊維が注目されるようになった。カネボウが開発したトウモロコシを利用した繊維「ラクトロン」、旭化成の「セルロースキュプラ繊維」などがそれである。このような、石油化学に依存せず、自然な物質合成過程を利用するソフト化学への転換は将来加速することが予想される。
21世紀に入り、中国の経済発展が顕著になると中国からの安価な合成繊維原料が大量に輸入されるようになり、国内の繊維メーカーの生産は軒並み縮小傾向が目だつようになった。東レや帝人、クラレ等の繊維メーカーは生産の重点を衣料品から航空機関連、自動車関連、電子材料関連、環境関連などへシフトさせ、また、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーを駆使してナノファイバー、ナノ積層フィルム、ナノアロイ樹脂、バイオ燃料、バイオ繊維、バイオプラスティクスなどの新製品を開発・生産するようになった。この分野は技術開発が盛んに行われており、新製品の登場による市場の拡大が期待される。
合成繊維は絹、木綿、羊毛などの天然繊維の代替品として開発され、高分子化学や有機合成化学をベースに、ポリアミド系繊維、ポリエステル系繊維、アクリル系繊維など、おもなものは欧米の企業によりもたらされた。日本のメーカーもこれら合成繊維の大量生産を行う企業として成長したが、ここに至って「模倣から創造へ」の大きな転換が起こったとみることができる。この変化は単に生産の多角化、総合化という言葉以上の内容を含んでおり、日本の化学工業全体の質的転換とも関係している。この変化の背景にあるのはマイクロエレクトロニクス、電子技術という新分野との連携、ナノテク、バイオなどの新技術の応用、日本独自の技術の開発などがある。
[馬場政孝]