中国清末の新式海軍の代表的艦隊。清国は新式海軍建設の必要を痛感していたが,1874年(明治7)の日本の台湾出兵は深刻な危機感をもたらし,翌年から新式海軍の建設が開始された。李鴻章(りこうしょう)によって88年に編成され,丁汝昌(ていじょしょう)が司令官,旅順が根拠地となり,91年には日本に来航して示威運動を行った。東洋一の主力艦定遠・鎮遠を擁し世界4位の規模であった。北洋艦隊以外に南洋・福建・広東の艦隊があり,85年に海軍衙門も設置された。しかし資金難から新式艦の補充ができず,日清戦争において黄海海戦では軍艦12隻中5隻を失うなど,日本海軍によって壊滅された。
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