日本では南方のとくに熱帯海域を一般に南洋と総称したが、とくに第一次世界大戦後、国際連盟から統治を委任された旧ドイツ領のマリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島を南洋諸島と称したので、この海域をさして南洋とよぶことが多かった。一方、フィリピン、スラウェシ、ボルネオからジャワ、スマトラにかけてのインドネシアまでを表南洋、外南洋とよぶこともあり、これと区別して前記の委任統治領の南洋諸島を裏南洋とか内南洋ともいった。なお中国では揚子江(ようすこう)以南の海岸地方を南洋とよんだというが、時代によってその呼称の指示する地域は変化していて限定することはできない。日本でもこの呼称は昭和初期には盛んに用いられたが、戦後にはほとんど使用されなくなった。
[大島襄二]
中国で東南アジアをさした名称。古くは南海と呼ばれた東南アジアと中国との交流は,10世紀以降盛んになり,とりわけ明・清代以降活性化した。こうしたなかで清代の18世紀になると,東南アジアは南洋と呼ばれるようになった。日本人もこの語を受容し,第二次世界大戦期まで一般に用いた。
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…西からミャンマー,タイ,ラオス,カンボジア,ベトナムの5ヵ国が東南アジアの大陸部を形成し,マレーシア,シンガポール,インドネシア,ブルネイ,フィリピンの5ヵ国が東南アジアの島嶼部を形づくっている。かつて〈南洋〉ないし〈南方〉と称していた地域を,〈東南アジア〉と呼ぶようになったのは比較的新しく,太平洋戦争後のことである。〈東南アジア〉(あるいは〈東南アジヤ〉)という語自体は,1930年代の末ころから,一部の研究者の間で用いられたことがあるが,一般には普及しなかった。…
…秦の始皇帝のとき前214年に南方を征服し,今日の広州に南海郡をおいたのは,そこが南海への連絡口だったからである。のちには南シナ海の南部からインド洋にわたる海域を南洋と称し,広州または泉州(福建省)から南に伸ばした一線によってこれを東西に分け,東洋,西洋といった。【日比野 丈夫】。…
※「南洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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