北野新田(読み)きたのしんでん

日本歴史地名大系 「北野新田」の解説

北野新田
きたのしんでん

[現在地名]所沢市北中きたなか

岩岡いわおか新田の西にある。本村入間いるま山口やまぐち領の北野村。江戸期を通じ幕府領。開発は江戸前期から始められ、寛文九年(一六六九)検地帳(北田家文書)によれば名請人は二三人いるものの、反別は下々畑のみ一町七反余と非常に少ない。延宝二年(一六七四)の検地帳(同文書)では下々畑九町六反余、名請人四六人。開発は寛保元年(一七四一)頃になっても進まず、武蔵野新田世話役の川崎平右衛門が開発場の取上げを迫るという事態となった。北野村ではこのとき各百姓に細かく分割した土地を買上げ、入植希望者に売渡すという方法をとっている(「一札」大舘家文書)


北野新田
きたのしんでん

[現在地名]三条市北野新田

井栗いぐり村の北に位置し、同村の枝郷であった。寛永一八年(一六四一)井栗村野方を開発して立村(「井栗村諸色書上帳」桑原春男氏文書)。新発田藩分家の相給村で、一方は溝口宣秋(切梅家)知行所から幕府領に転じ、元禄八年(一六九五)の万覚帳(熊倉家文書)に「北野村」八五石九斗余が記される。もう一方は溝口宣俊(池ノ端家)知行所で、同一一年の蒲原郡之内村々高帳(新発田市立図書館蔵)に二八石八斗余が記される。


北野新田
きたのしんでん

[現在地名]越路町西野にしの 北野

西野村の北。村立ちの年代は不明。当初は信濃川右岸にあった。元禄郷帳には古志こし郡に属し、三島郡飯島いいじま村枝郷と記す。近世を通じて長岡藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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