半山遺跡(読み)はんざんいせき(その他表記)Bàn shān yí zhǐ

改訂新版 世界大百科事典 「半山遺跡」の意味・わかりやすい解説

半山遺跡 (はんざんいせき)
Bàn shān yí zhǐ

中国甘粛省臨夏回族自治州広河県(旧,寧定県,東郷自治県)にある新石器時代の甘粛仰韶(ぎようしよう)文化半山類型の墓地遺跡。1924年J.G.アンダーソンが半山古墓群のうちの辺家溝と瓦缶嘴を調査した。遺跡は洮河(とうが)の河床から400m,標高2200mの半山山頂に位置している。ここに数百の古墓が大墓地群を形成していたとみられるが,遺跡は大々的に盗掘・破壊され,辺家溝では完全な墓葬1基が調査されたにすぎない。頭を東に向け南面した横臥屈葬の人骨の周辺から,彩文のある双耳細頸壺7,口の大きい小型の双耳壺1,無彩で貼付文のある粗陶壺4,蛤刃と片刃の磨製石斧各1,砥石2が出土した。アンダーソンはこの遺跡から出土した多くの遺物を購入している。かつてアンダーソンは,土器は墓葬と住地とで違い,特に喪文は副葬土器に限られるとした。しかしその後の調査では彩陶住居址と墓葬共通のものもあることが明らかになり,さらに住居址から喪文のついた彩陶が発見されるにおよんで,半山葬地説と喪文の意義は根拠を失うにいたっている。また,45年に夏鼐かだい)は半山の魏家咀付近の陽窪湾で斉家文化の墓葬を調査し,墓の塡土中に甘粛仰韶文化の彩陶片を発見して,斉家文化が仰韶文化よりも新しいことを証明した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「半山遺跡」の意味・わかりやすい解説

半山遺跡
はんざんいせき

中国、甘粛(かんしゅく)省広河県にある新石器時代の甘粛仰韶(ぎょうしょう)文化半山類型の墓地遺跡。遺跡は洮河(とうが)の河床から約400メートル高い半山の山頂にある。1924年スウェーデンのJ・G・アンダーソンが半山古墓群のうちの辺家溝(へんかこう)と瓦罐嘴(がかんし)を調査し、前者から半山期の完全な墓を一基発掘した。この墓は、頭を東に向け南面した横臥屈葬(おうがくっそう)で埋葬され、人骨の周囲から彩文のある双耳壺(そうじこ)8、無彩の粗質の壺4、石斧(せきふ)2、砥石(といし)2が出土した。アンダーソンが蘭州(らんしゅう)で購入した数百個の彩陶の多くは半山墓地から盗掘されたもので、胴部が球状に張って半環状の把手(とって)がつき、截頭倒錐(せっとうとうすい)形にすぼむ平底の典型的な器形に美しい渦文、四大円圏文、曲線文が描かれている。半山類型はこれらの遺物を標式としたもので、甘粛仰韶文化の馬家窯(ばかよう)類型から派生したものである。

横田禎昭]

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百科事典マイペディア 「半山遺跡」の意味・わかりやすい解説

半山遺跡【はんざんいせき】

中国,甘粛省寧定県にある甘粛仰韶(ぎょうしょう)文化の墓地遺跡。【とう】河流域の標高2200mの高原にあり,1923年―1924年にJ.G.アンダーソンが調査。赤,黒の幾何学文をもつすぐれた彩陶が出土し,甘粛・青海方面の彩陶文化6期のうち第2期に属するとされる。

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