甘粛仰韶文化(読み)かんしゅくぎょうしょうぶんか(英語表記)Gān sù yǎng sháo wén huà

改訂新版 世界大百科事典 「甘粛仰韶文化」の意味・わかりやすい解説

甘粛仰韶文化 (かんしゅくぎょうしょうぶんか)
Gān sù yǎng sháo wén huà

中国の西北部,甘粛・青海地方に分布した農耕牧畜基調とする新石器時代の文化。仰韶文化の発見者J.G.アンダーソンは,1923-24年黄河上流の甘粛省洮河流域と青海省西寧河岸で彩色土器を伴う多数の遺跡を発見し,斉家期,仰韶(半山)期,馬厰期,辛店期,寺窪期,沙井期という甘粛六期の編年を行った。これは先史時代に関する最初の編年で,前の3期は青銅製品を欠いているから新石器時代後期または金石併用期に,後の3期は青銅器を伴うので青銅器時代初期にあてた。その後の新石器時代の研究は,この編年をいかに修正してゆくかという方向がとられた。当初,仰韶文化の名のもとに文化内容も年代もだいたい同じと考えられたが,後に中原の仰韶文化とは様相を異にするところから甘粛仰韶文化または馬家窯文化と呼んで区別して理解され,また年代も仰韶文化におくれることが明らかにされた。さらにアンダーソンは馬家窯は住地の彩陶,半山はその墓葬用と考えたが,解放後の調査でそれぞれ別個の文化に属し,しかも両者の間には前後関係が認められた。また斉家期は甘粛に波及した竜山文化所産であり,甘粛仰韶文化の後に位置づけられることが層位的にも確かめられた。

 現在では,甘粛仰韶文化は洮河,大夏河,湟水流域を中心に東は渭河上流,西は青海省の海南蔵族自治区と河西回廊の酒泉付近,南は白竜江下流,北は寧夏回族自治区まで分布することが確認されており,石嶺下,馬家窯,半山,馬厰の4類型がある。石嶺下類型は甘粛に波及した仰韶文化と馬家窯類型との間をつなぐ過渡的性格をもっている。甘粛仰韶文化の炭素14法による測定年代は前3190-前1715年を示し,中原の仰韶文化よりも500~1000年おくれている。甘粛仰韶文化の生業アワを栽培する鋤耕農業で,基本的には仰韶文化と同じであるが,遺跡内に豚や羊の骨がよく見られ,牧畜や狩猟も盛んであった。石器は斧,片刃斧,石庖丁,鑿,投弾(狩猟具),紡錘車があり,骨製柄に石刃を付けるナイフなど各種の骨角器もある。土器は泥質の精製土器と砂質の粗陶がある。前者には表面をよく磨き黒や赤で文様を描いた彩陶があり,おもに祭祀や墓葬に用いられた。後者は炊事や貯蔵に用いられた。彩陶の文様は,石嶺下ではまだ中原の彩陶に類似の要素も見られたが,馬家窯からは螺旋文や曲線文が極端に発達し,独自の彩文土器文化を展開させた。半山彩陶の洗練された器形と精緻な文様は頂点に達し,その華麗な美しさは中原の仰韶文化のそれをはるかにしのいでいる。しかし,馬厰では全体に粗雑になるのが特徴である。集落のそばには共同墓地があり,土壙墓が普通であるが,木槨墓は馬家窯墓から,木棺は半山墓からみられる。陶祖(男性生殖器)や男性中心の成人男女合葬墓などが目だち,さらに馬厰類型の殉人墓や副葬土器の多少の顕著な現象,銅製品の出現などは当時の社会が変革期を迎えていたことを示している。仰韶文化の起源を西アジアの彩文土器文化に求める見解と中国独自発生説とがあるが,これまでの発掘資料は西方からの伝播説の成立を困難なものにしている。
仰韶文化
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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