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南北対話[朝鮮] なんぼくたいわ[ちょうせん]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南北対話[朝鮮]
なんぼくたいわ[ちょうせん]

1971年の大韓赤十字社による南北赤十字会談の提議を,北朝鮮赤十字会が受諾したことに始る南北朝鮮の緊張緩和と平和統一のための交流。翌年の祖国統一に関する3原則 (自主的統一,平和的統一,民族の大団結) を掲げた七・四南北共同声明以後本格化した。国際的背景としては,米ソのデタント,ニクソン訪中,日中国交正常化などがあげられる。また共同声明の内容にそって「南北調節委員会の運営および構成に関する合意書」が調印された。こうして 72年夏以降,南北間の関係も「対話なき対決」から「対話ある対決」へと移行した。しかし,このような南北間の緊張緩和は長くは続かなかった。統一問題における南北間の意見の対立は,すでに 73年6月のパク (朴) 大統領の六・二三平和統一外交宣言とキム・イルソン (金日成) 主席の高麗連邦共和国の提唱の間の意見の相違として表面化していた。その後,北側委員長キム・ヨンジュ (金英柱) はキム・デジュン (金大中) 事件を理由にイ・フラク (李厚洛) の交代と調節委員会の改編を要求したため南北交流は中断した。その後南北間には経済会談 (1984.11.) ,体育会談 (85.10.) など,断続的な交流が行われた。南北間の交流本格化の契機は 88年7月のノ・テウ (盧泰愚) 大統領の統一問題に関する特別宣言である。そのなかで南北の政治家,経済人,学生らを含むあらゆる分野の交流の推進や南北の貿易の開放などを明らかにした。それを受ける形で 89年2月チョン・ジュヨン (鄭周永) 現代グループ会長が北を訪問し,キム・イルソンと会見している。そして 90年9月には第1回南北首相会談がソウルで開催されるにいたった。さらに 91年9月の南北朝鮮の国連同時加盟を経て,同年 12月には南北は「南北間の和解と不可侵および交流協力に関する合意書」に調印するとともに「朝鮮半島の非核化共同宣言」に合意した。

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