観福寺
かんぷくじ
[現在地名]三戸町同心町 熊ノ林
同心町の北東、熊原川の右岸低地に臨む段丘に位置する。玉岑寺の北隣、妙光寺の西隣にあたる。護念山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「同上、開山自文経上人正徳三年寛政三年迄十九代」とある。寺伝によればかつては目時村にあり、目時筑前の菩提寺として建立されたが、正徳三年(一七一三)現在地に移転したものという。
本堂に天授二年(一三七六)銘の十一面観世音菩薩坐像がある。県重宝。丈一尺六寸。昭和四年(一九二九)恵光院(現南部町)より譲られたもので、頸部の継目の裏側に「王性覚 天授弐年丙辰八月七日 仏子幸慶」と墨書されている。幸慶については不明であるが、貞和五年(一三四九)の熊野党奥州先達系譜(和歌山米良文書)に「其弟子大進阿闍梨幸慶」とあり、幸慶の師常陸房の真弟である大弐阿闍梨房が糠部のうち九箇の戸一円を旦那場としていたことが知られる。
観福寺
かんぷくじ
[現在地名]佐原市牧野
主要地方道佐原―八日市場線の東側に位置する。妙光山蓮華院と号し、真言宗豊山派。本尊は平将門の守護仏であったと伝える聖観音(平安後期の作と推定)。一説に寛平二年(八九〇)の開基という。観応元年(一三五〇)一〇月一七日に「大戸庄牧野村坪河崎大」が「観音堂」に寄進され、大輔阿闍梨西吽に宛行われている(「伴氏教寄進状」観福寺文書)。寺蔵の過去帳によると、西吽は観福寺一世で、観音堂は観福寺の母体であろうか。
観福寺
かんぷくじ
[現在地名]白浜町栄
富田川右岸にある。山号は白華山、臨済宗妙心寺派。本尊は千手観音。「続風土記」に「吉田村吉田氏の始祖南荘を領知せし時、海部郡由良興国寺なる法灯国師の弟子覚元禅師を請ひて草創し、法灯国師を開山とす、或は是より先中岩氏の祖範秀草創すと云ふ」とある。正安四年(一三〇二)八月一五日の両六波羅下知状を寺宝として伝え、少なくともこのときすでに存在したこと、住持が覚元であったことが知れる。近世の規模は境内周り八町で、本堂は九間と六間。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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