南海地震ともいう。1946年12月21日紀伊半島南方から四国沖に起こった巨大地震で,マグニチュードは8.1に達した。被害は中部地方から九州にいたる西日本各地にわたり,死者1330人,行方不明102人,負傷者2632人,家屋全壊1万1591,半壊2万3487,焼失2598におよんだ。この地震による津波は伊豆半島より九州にいたる沿岸に来襲し,その波高は三重,和歌山,徳島,高知の沿岸各地で4~6mにも達し,このため家屋流失1451,浸水3万3093,船舶破損流失2991の被害を生じた。この津波はハワイやカリフォルニアにも達し最高25cmにおよんだ。また各地で井戸水,温泉の変化や発光現象などが報告されている。この地震の大きい特徴は,地震に伴う地殻変動が紀伊半島から四国西部にわたる広大な地域におよんだことで,地震後の水準測量の結果,室戸岬で1.27m,潮岬で0.7m,足摺岬で0.6m地盤が隆起し,逆に高知や須崎では1.2m沈下して水田15km2が海面下に没したほか,四国内陸部と紀伊半島中西部では10~30cm沈降したことが明らかになった。また四国および紀伊半島の陸地では南東に1~3m水平移動したことが知られている。このような広い地域にわたる地殻変動は,フィリピンプレートが南海トラフから日本列島の下へ徐々に沈み込む時に,陸のプレートが反発してその境界面で非常に広い面積の断層面を生じたために起こったものと考えられる。このことは地震前には地殻変動の向きが逆であって,例えば室戸岬は1年間に約7mmの速度で徐々に沈降していたのが,地震の時に突然1m以上も隆起したことでも裏づけられる。地殻変動と津波の波源域から推定される断層面は,紀伊半島南方から四国沖へかけて全長約300km,幅70km,断層の変位は東側で3m,西側で6mにおよぶ。一方,この地震の余震は紀伊半島南部から紀伊水道にかけて起こり,上の断層面のほぼ東側半分にだけ発生している。この地域には1099年(康和1),1361年(正平16・康安1),1605年(慶長10),1707年(宝永4),1854年(安政1。安政地震Ⅱ)などに巨大地震が繰り返し発生しており,南海道地震もこれらと同じ型の地震である。
執筆者:三雲 健
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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