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紀伊半島南端にある陸繫(りくけい)島。和歌山県串本町に属する。岬の先端は北緯33°25′54″に位置し,本州最南端である。かつて島であったと思われるが,砂州によって本土と結ばれた。斑レイ岩からなり,表面はその風化した淡い黒ボク土壌が広がる。紀伊半島の海岸と同様に海岸段丘が発達し,標高40mと60m付近に平たん面が広がっている。温暖な気候を利用して,花卉の暖地栽培が行われている。大坂~江戸の廻船はこの沖合を回ったため,近世には岬の南西の上野(うわの)に遠見番所が置かれていた。1873年にはそこに潮岬灯台が設置された。岬は東部が出雲,西部が上野の2集落に分かれていたが,1889年合して潮岬村となり,1955年には串本町と合併した。水に乏しく長い間天水を飲料としてきたが,73年対岸の二色川を水源とする上水道が整備された。さらに出雲地区には畑地灌漑施設が整えられた。岬の南岸は黒潮が磯を洗う海食崖が発達し,景観は雄大である。
執筆者:水田 義一
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潮ノ岬、潮御埼、塩の岬とも書く。和歌山県南部、東牟婁(ひがしむろ)郡串本(くしもと)町にある岬。太平洋に臨む先端は北緯33度26分で本州最南端にあたる。串本から長さ約900メートルの砂州で結ばれた面積約7平方キロメートルの陸繋島(りくけいとう)の南端の岬で、岬の崖(がけ)上には1873年(明治6)点灯の潮岬灯台や観光タワーがある。
なお、1889年(明治22)から1955年(昭和30)の串本町への合併まで陸繋島だけで潮岬村だったので島全体を潮岬ともよぶ。平坦(へいたん)な海成段丘で、集落には屋敷林や石垣がみられる。周囲は20~40メートルの海食崖(がい)をなす。吉野熊野国立公園域。島にはかつて捕鯨を行った出雲(いずも)、上野の漁村がある。
[小池洋一]
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