南燕(読み)ナンエン

精選版 日本国語大辞典 「南燕」の意味・読み・例文・類語

なん‐えん【南燕】

  1. 中国、五胡十六国の一つ三九八‐四一〇年)。後燕の都、中山北魏に奪われたとき、後燕は二つに分裂するが、そのうちの一つを鮮卑族の慕容徳がついで広固に都して建国。のち東晉に滅ぼされた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南燕」の意味・わかりやすい解説

南燕
なんえん
Nan-yan; Nan-yen

中国,五胡十六国の一つ。前燕慕容皝の子,慕容徳の建てた国(400~410)。燕平1(398)年滑台(河南省滑県)で燕王と称した。北魏攻撃を受けて広固(山東省益都県)に帰り,400年に帝となったが,東晋(→)の将軍劉裕(→武帝)に滅ぼされた。

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改訂新版 世界大百科事典 「南燕」の意味・わかりやすい解説

南燕 (なんえん)
Nán Yān

(五胡)

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旺文社世界史事典 三訂版 「南燕」の解説

南燕
なんえん

398〜410
五胡十六国の一国
鮮卑 (せんぴ) の慕容徳 (ぼようとく) が建国したが,東晋 (とうしん) の部将劉裕 (りゆうゆう) に滅ぼされた。

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世界大百科事典(旧版)内の南燕の言及

【燕】より

…苻堅が淝水で東晋に敗れると,一族は国家再興を企て,西燕(384‐394)と後燕(384‐407)が興ったが,後燕は西燕を滅ぼし,河北,河南,山西,山東さらに遼東に及ぶ広大な帝国を建設した。しかし397年北魏が首都中山(河北省定県)に迫ると,国家は瓦解して南燕(河南,398‐410)と北(407‐436)に分裂した。【谷川 道雄】。…

※「南燕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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