慕容皝(読み)ぼようこう(その他表記)Mù róng Huàng

改訂新版 世界大百科事典 「慕容皝」の意味・わかりやすい解説

慕容皝 (ぼようこう)
Mù róng Huàng
生没年:297-348

中国,五胡の鮮卑族慕容部の族長。慕容廆(かい)の第3子。字は元真。慕容廆の死後,弟慕容仁らとの間に勢力争いを生じたが,これらを応援する鮮卑族の宇文,段2部を討平し,また高句麗の首都丸都を攻略して高句麗を屈服させた。一方,後趙に圧迫を加え,東晋に要求して燕王の称号を得た。341年首都を棘城(きよくじよう)(遼寧省錦州)から竜城(同朝陽)にうつし,征服・帰付の諸民族を集住させて国力充実を図り,儒学,仏教にも深い理解を示し,みずからも著述を行うなど,中原国家への道を指導した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慕容皝」の意味・わかりやすい解説

慕容皝
ぼようこう
Mu-rong Huang; Mu-jung Huang

[生]元康7 (297)
[没]永和4 (348)
中国,五胡十六国の前燕の第1代王(在位 333~348)。慕容廆の子。父の跡を継ぎ,慕容部内の動揺をしずめ,東晋(→晋)の咸康3(337)年燕王と称した。鮮卑の段部を倒し,高句麗を屈服させ,鮮卑の宇文部を滅ぼし,北はシラムレン川(→シャルモロン〈西拉木倫〉川)流域から吉林省農安方面まで,南は長城(→万里の長城)を越えて北京,天津の北方から山西省北東部に及ぶ大勢力となった。内政面では農耕を奨励し,民生の安定をはかり,中国的な国家体制の整備に力を注いだ。

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