原久一郎(読み)ハラ ヒサイチロウ

20世紀日本人名事典 「原久一郎」の解説

原 久一郎
ハラ ヒサイチロウ

大正・昭和期のロシア文学者,翻訳



生年
明治23(1890)年4月10日

没年
昭和46(1971)年10月19日

出生地
新潟県北蒲原郡水原町

別名
号=白光

学歴〔年〕
早稲田大学文学部英文科〔大正3年〕卒,東京外国語学校(現・東京外国語大学)露語科〔大正6年〕卒

主な受賞名〔年〕
ソ連名誉勲章〔昭和42年〕,モスクワ大学名誉博士〔昭和42年〕

経歴
在学中「早稲田文学」などに創作を発表。大正9年早大露文科創設で講師に招かれ5年間教鞭をとる。トルストイ人道主義に心酔して、トルストイの研究、翻訳をライフワークとし、昭和8年にはトルストイ普及会を自宅に設置。46年81歳で死去するまで、50年以上にわたってロシア文学の研究、紹介に専念ドストエフスキーツルゲーネフゴーゴリチェーホフ作品など多数の訳業を残したが、個人全訳の「大トルストイ全集」(全22巻)、ビリューコフ著「大トルストイ伝」(3巻)などの訳業が名高い。著書に「トルストイ伝」「トルストイ・生涯と作品」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「原久一郎」の意味・わかりやすい解説

原久一郎 (はらひさいちろう)
生没年:1890-1971(明治23-昭和46)

ロシア文学翻訳家。新潟県生れ。早稲田大学英文科に学び,英訳で《アンナ・カレーニナ》を読んで感激し,以後ロシア文学の研究・紹介に専心した。アルツィバーシェフの作品集《ランデの死》(1918)を皮切りに,トルストイの作品を中心に数多くの翻訳を世に問うた。1936-40年には個人訳で《大トルストイ全集》を完成,国際的な評価を受けた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「原久一郎」の意味・わかりやすい解説

原久一郎
はらひさいちろう
(1890―1971)

ロシア文学者。新潟県生まれ。号は白光。1914年(大正3)早稲田(わせだ)大学英文科、17年東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科卒業。21年から早稲田大学露文科講師となったが、ほどなく辞職し、ロシア文学の翻訳、紹介に専念した。とくにトルストイに心酔し、33年(昭和8)「トルストイ普及会」本部を設け、その思想の普及に努めた。訳業に『大トルストイ全集』22巻、ビリューコフ著『大トルストイ』三巻など、自書に『トルストイと私』がある。

江川 卓]

『『トルストイと私』(1972・毎日新聞社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原久一郎」の解説

原久一郎 はら-ひさいちろう

1890-1971 大正-昭和時代のロシア文学者。
明治23年4月10日生まれ。原卓也の父。トルストイに傾倒し,作品の翻訳につとめ,昭和8年自宅にトルストイ普及会を設置した。11年から刊行の「大トルストイ全集」22巻個人訳は国際的にもたかく評価された。昭和46年10月19日死去。81歳。新潟県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「原久一郎」の解説

原 久一郎 (はら ひさいちろう)

生年月日:1890年4月10日
大正時代;昭和時代のロシア文学者;翻訳家
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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